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京都市北区西賀茂榿ノ木町31−2
院長 諸岡 憲(もろおか けん)
  1. 「白いカラスが舞う、蝉時雨の聞こえない遙かなる欧州の夏」
 

「白いカラスが舞う、蝉時雨の聞こえない遙かなる欧州の夏」

大変遅くなりましたが、4回目の紀行です。今回は、ドイツの夏を中心とした気候や自然、さらには、生活習慣などで良い点ばかりでなく、困った点などもご紹介したいと思います。

「カァー、カァー」と特有の鳴き声を響かせて、前方の上空を鳥が舞っていた。「何だカラスか」と最初は気にもとめなかった。しかし、「うん?今のカラス黒色じゃなかったぞ!?はて!?」。19937月、爽やかな夏空の下Münchenの広大な英国庭園(Englischer Garten)を散歩していた時のことである。夏休みを利用してWürzburgMünchen等の南東ドイツを旅行中のことであった。

毎年日本ではゴールデンウィーク前頃から6月の梅雨入り頃までを、所謂初夏と呼び、暑くもなく寒くもない心地よい季節を迎える。ドイツを含む、アルプス以北の欧州も5月中旬以降は実に爽やかな気候を迎え、丁度日本の本州と同じ初夏の気候となる。ところが、日本との決定的な違いは、この季節がそのまま8月中旬まで持続することである。欧州には梅雨に当たる季節は勿論、日本の様な「不快な真夏」も存在しない。従って、5月中旬から8月中旬までが欧州では夏(Sommer)なのだ。具体的な気温を上げると、最高気温は20℃から25(年間数回30℃を超える)で、最低気温は12℃から14℃くらいに過ぎない。また、時々雨も降るが、雨の時の最高気温は14℃くらいで、日本の3月中旬並みの寒さとなる(6月や7月でも!)。勿論、湿度は降雨時以外は年中10%〜30%程度である。つまり、6月や7月でも、時としてセーターは愚かジャケットも必要になることすらある。日本の真夏を好む人には逆に耐えられないかもしれないが、私は幼少時から日本の梅雨以降の高温多湿な季節は大の苦手で、未だにどうしても馴染むことができない。従って、ドイツ滞在時の夏は、私にとっては天国のような季節であった。この項を執筆し始めた20136月現在、5月下旬に早くも梅雨入りしたかと思えば、連日、真夏と同じ気温30度以上の高温多湿な日々が続き、少々滅入ると共に、Freiburgの爽やかな青空をうらやましく思い出してしまう。

真夏がないことは他にも色々な恩恵をもたらしてくれる。ドイツには蚊はいない。最近、主としてアフリカから、人間と共に飛行機に紛れて「密航」してくる不届き者の蚊がドイツやオーストリアでも観られるようになったが(このため、欧州で時々マラリアが発生していることすらあると言う話をProfessor Dr. Herttingから聞いた)、本来の気候では、蚊はアルプス以北の欧州では生存できない。当然、蚊取り線香の類はドイツやオーストリアでは販売していない。後に訪れたアルプス以南のイタリアではスーパー(Co-op:勿論消費生活協同組合Co-opの発祥の地はスイスである。スイスのどの都市にもCo-opがある)に日本製の蚊取り線香や電気蚊取りが販売されていた(製造は欧州工場のもあるが多くはマレーシアなどであった)。一度も蚊に遭遇しなかった夏を、その時、私は人生で初めて体験した。同様に街灯に群がる蛾や羽虫なども観たことはなかった。日昼には、蝶は勿論、トンボやハチが飛んでいるのは言うまでもない。

害虫が存在しない理由は、その気候にある。上記で述べたように、7月でも深夜になると気温は12℃くらいまで低下する気候では、当然虫にとっては夜間の活動は不可能であり、時には発生・生存すらできない種もある。害虫が存在しないことは素晴らしいのだが、反面寂しい点もある。ドイツには蝉は勿論、日本の秋の訪れを告げる、鈴虫、松虫のような美しい鳴き声を奏でる虫も存在しないのだ。従って、ドイツの夏は、日中たまに鳥の鳴き声が聞こえる程度の静寂が支配し、蝉時雨などはあり得ない

蝉に関しては、冗談の様な面白いエピソードが残っている。世界で初めて造られた動物園はどれかと言うのは、諸説有る。最初の近代的科学的動物園は、英国のロンドン動物園(1828年)と言うのが定説であるが、それより遙か以前に、オーストリア・ウィーンのシェーンブルン宮殿(後述)に造られたシェーンブルン宮殿動物園(1752年)が世界で最初の動物園と考えられる。英語の動物園Zooは、正式にはZoological Gardenであり、ドイツ語のZoologischer GartenZoologischerは「動物学の」と言う意味。ツォーロギッシャーと発音する)と全く同じである。どちらが語源なのか、これも諸説有り判然としないが、英語における他の学術用語は、殆どがドイツ語、または、ラテン語(フランス語)を語源としていることからしても、ドイツ語が起源ではないだろうか。そのドイツでも最初の近代的動物園として誕生したのがBerlinZoologischer Gartenであり、かつての西ベルリンの中心地にある。今でも子供達を始めとして大変人気があり、観光名所の一つとしても挙げられている。明治に日本で最初の動物園である東京の上野動物園が開設された際(1882年)、多くの動物がBerlin Zoologischer Gartenから供与された。キリン等の動物が上野動物園に初めて運ばれてきた時の話である。上野動物園側は、2kmにもおよぶ長距離、数ヶ月に及ぶ長期間航海を経てはるばる運搬してきてくれたドイツ人達の労をねぎらい、代金以外に何か謝礼を差しあげたいと申し出た。これに対してのドイツ人達の返答が実にユニークなのだ。「では、あの「鳴く木」を是非とも譲渡して下さい。帰りの船でドイツに持ち帰りたい」と答えた。その時は、丁度7月後半から8月上旬だったようである。「鳴く木」など当然存在するはずもなく、動物園内の広葉樹に止まったアブラゼミかクマゼミが鳴いていたに過ぎない。このドイツ人の返答に、上野動物園の職員達は、一瞬何のことか分からず、暫くして蝉のことと気付いたとの事である。お互いさぞかし驚いたに違いない。遙かなるアジアの国の真夏には蝉という昆虫が存在することを、彼らは初めて知ったわけであるから。

蝉の生存北限は北緯40度近辺と言われている。私が住んだFreiburg im Breisgauはドイツの最南端に当たる都市だが、それでも北緯48度(4759分)もある。日本で言えば、最北端の利尻・礼文島から北海道最北端の稚内くらいに相当する高緯度なのである。Berlin北緯52くらい5230分)なので、彼らが蝉など見たこともないのは当然である。ちなみにフランスでも、パリ(Paris)やストラスブール(Strasbourg, ドイツ語ではStraßburg)は、Freiburgとほぼ同緯度のため蝉はいないが、学会や国際シンポジウムで訪れた、中南部のリヨン(Lyon)以南、地中海沿岸部(Cote dAzur)のニース(Nice)、カンヌ(Cannes)、あるいは、プロバンス(Provence)地方のモンペリエ(Montpellier)、ニーム(Nimes)、アヴィニョン(Avignon)辺りでは、当然、真夏の季節には賑やかな蝉時雨が聞こえていた。


蒸し暑くない夏は、虫ばかりでなく、そこに住む人々の生活習慣をも必然的に変容させてくる。ドイツ人を含む欧州大陸人は、大人も子供も入浴が余り好きではなく、シャワーを浴びるだけなのだが、それすらも年中平均1週間1回程度である。かつて19世紀終わり頃まで、一般家庭は愚かフランスのベルサイユ宮殿やドイツ・ポツダム(Potsdam 18世紀半ばまではプロシア公国。後にドイツ第二帝国。第二次世界大戦の戦後処理、特に、ドイツと日本の処理について協議されたポツダム会談は、このポツダムのツェツィリーエンホフ宮殿Schloß Cecilienhofで行われた。トルーマン・米国大統領、スターリン・ソ連首相、チャーチル・英国首相が会談で使用したテーブル、各々のいすが保存展示してある)のサンスーシ宮殿(Schloß Sanßouci 18世紀前半、フリードリヒ大王の命により建立された、ベルサイユ宮殿を模倣したとされる絢爛豪華な宮殿)、あるいは、オーストリア・ウィーン(Österreich Wien)にあるハプスブルク家のホーフブルク(Hofburg)やシェーンブルン宮殿(Schloß Shönbrunn)等の皇帝や国王の宮殿ですら、バスタブは存在しなかった。

一方、大陸の対岸にある英国は古くからバスタブに浸かる入浴の習慣がある。その英国は、産業革命の成功により世界で最初に資本主義化した後、植民地戦争でスペイン、オランダ、フランスを次々に打ち破り、19世紀後半になると、世界一の超大国にのし上がっていた。そうして巨万の富を得た英国貴族達が、夏の保養でスイス(Schweiz、フランス語ではSuisse)、特にレマン湖斑(Lac Leman)のジュネーブ(Geneve、ドイツ語ではGenf)やローザンヌ(Lausanne)に大挙してやってくる様になった際、彼らは多数の従者を従え、一財産になるほどの大荷物を抱えてやって来た。その時、大荷物の中に、英国からわざわざバスタブを運んできたのである。勿論、当時のスイス人には、バスタブに浸かると言う、英国人には勿論、我々日本人には当たり前の習慣が皆無であったからである。19世紀後半以降、スイスのホテルでは英国人用にバスタブを完備するようになり、これが次第に欧州大陸全体に普及したのである。

従って、未だに旧来の習慣の名残で欧州大陸の一般家庭にはバスタブがないところが多い。ホテルですら、3星以下の大衆向けホテルには、バスタブがないのは勿論、シャワーですら共同使用で各部屋にない場合もある。

欧州域内を学会出張や旅行する際、私は、Reisebüro(旅行代理店。FreiburgではTourist Informationを兼ねていたので、公的機関である。その他、個人経営的なものがどの街にもあるが、日本のJTBの様な全国的規模かつ私的企業の旅行代理店は、ドイツを含めた欧州にはない)や現地のTourist Informationで宿泊ホテルの予約を取っていたが、交渉の際の条件提示で、室内に最低シャワールームを備えていることを常に強調していた。ちなみに、私は日本のお仕着せ団体パック旅行は経験したことがない。目的地を先ず決めたら、行程表を作成してReisebüroを訪れて、ホテルの予約を取ってもらう。次に、DBDeutsche Bahn: ドイツ鉄道)の時刻表で列車の時間を調べ、列車の発車する少なくとも30分以上前に駅(Bahnhof)へ行き、窓口で切符を買うと言う、旅の仕方に慣れてしまっているからだ。他人の決めた強行スケジュールに併せて自由な観光も出来ず、ありきたりのまずいレストランで他人に押しつけられたメニューの食事をし、ましてや、移動はバスのみで同行の日本人と日本語ばかり喋って、現地の人々と会話すら出来ないなどの無意味な団体行動は、時間とお金の無駄に他ならず私には耐えられないからだ。FreiburgDBBahn Cardと言う、年間割引カードを持っていた。これは、DB全線の乗車賃が年間何回乗ろうと全て半額になると言う、日本では考えられないサービスである。しかも、入会資格は、ドイツに住所があって長期滞在していることだけ。即ち、国籍は無関係であり、DBの駅窓口で年間会費220マルク(当時の日本円で約14,000円)を払って、書類1枚に記入すれば、その場で臨時カード(後日、本カードが郵送されてくる)が発行され、直ぐに使用できた。

日本からの旅行の場合、先ず、航空券と1日目(連泊分も含む)のホテルの予約を大学生協等で確保するか、あるいは、航空券だけ買って、あとは馴染みのホテルならばFaxを送って自分で予約を取っておく、と言う段取りである。自分でスケジュールを決め、自由に動く。これでこそ旅と言える。90年代後半からはインターネットでホテルの予約は勿論、DBSNCF(フランス国鉄)のTGVなどの予約すら取れるようになったから、益々便利になった。おそらく、JTBなど一生縁がないままであろう。今後欧州へ旅行される方は、是非この方法を試されることを強くお勧めする。パック旅行などでは決して味わえない真の意味での異文化との交流が体験でき、物理法則でもないのに、物事の見方は、決して日本人の考える様な一定一律の尺度では決められないことを理解するであろう。そうすれば、日本で日常茶飯事に起こっている「科学的検証を経ない右にならえ現象」が実に陳腐で馬鹿馬鹿しいことであるか分かるはずである。他人任せにせず自分で旅をすることは、こうした別の次元で物事を考える力、即ち、広視野多元的思考法を養え、ひいては人生の深みとも言うべき掛け替えのない財産を手にする一助となろう。当院受診中の方でしたら個人旅行については私が詳細な方法をお教えします。

私が住んだ住居(Wohnung)は、以前この項で紹介した様に、小高い丘の登り口(ふもと)付近にある2階建ての家であったが、1階と2階が完全に分離しており、斜面に建つおかげで、両方別々の玄関を備えた、いわば、両者1階建ての家を積み上げた形になっていた(お互いの間には通路となる階段はなく、完全に独立していた)。2階に住む大家さんは、フライブルク大学(Albert-Ludwigs-Universität Freiburg)理学部化学研究所教授で、日本に何度か訪れたこともある知日家であり、私たちを歓迎してくれたのは勿論、照明器具や家具一式は言うに及ばず、食器類に、冷蔵庫やテレビ(ケーブルテレビでドイツ各地の放送局は勿論、CNN、フランスTF1TF2やスイスの放送局も受信できた)も備わっており、また、館内セントラル・オイルヒーティングを備えていて、真冬も室内では薄着で充分なほどの暖かさを保っていた。さらには、Bath Roomに最初から小さいながらもバスタブをも備えてあった。Institutで皆にこのバスタブの話をすると、「欧州では珍しいよ。でも、バスタブなんか必要なの?」と言われたのには面食らった覚えがある。

汗腺(脚注1)の数と分泌量が白人(Cocasian)の方が、東洋人に比して圧倒的に多いのは生理学的に明らかであり、当然、白人の方が体臭は強い。加えて、古来入浴の習慣が殆ど無い彼らが自然のままでは、他人にとっては、特に、我々東洋人にとっては耐えられない臭いを放つことになる。そのため、欧州人は皆エチケットとして、オーデコロン(脚注2)や香水を必ず毎朝の身支度の際使用している。しかしながら、無頓着な若者も往々にして存在し、夏に列車で長距離旅行する際、コンパートメント(46人程度が座れる向かい合った長いすを備えた個室)に偶々その類の人と乗り合わせた場合、かなりの苦痛を長時間強いられることになる。欧州で香水の文化が早くから発達した背景は、この様な、彼ら自身の生理学的特質に加えて、入浴しない生活習慣が大いに関係している。さらには、尾籠な話ではあるが糞便を肥料として使う農業耕作法は欧州ではなかったため、上下水道施設が普及するまでは、彼らは糞便処理には大層難渋していた。彼のベルサイユ宮殿の庭園もそこかしこに放置された糞便のため悪臭を放っていたのである。このことが特にフランスで香水文化を繁栄させた大きな原因でもある。

ただ、入浴を積極的にしない習慣には、ある意味合理性も存在する。欧州は、1年のほぼ半分を過酷な冬の季節が支配する。更には、先述した様に、1年中低湿度である。従って、10月以降に毎日入浴して皮脂を落としてしまうと、確実に乾燥性皮膚炎(皮脂欠乏性皮膚炎)を起こしてしまう。私も、自宅にバスタブがあるのをいいことに毎日入浴していたら、11月になって生まれて初めて乾燥性皮膚炎を起こしてしまった。過ぎたるは及ばざるが如しとは正しくこのことでよい教訓となった。

欧州の夏のもう一つの美点は、日照時間が驚異的に長いことである。毎年、ドイツでは3月最終日曜日の夜中から夏時間に入り、10月最終日曜日までは、冬時間よりも1時間前倒しになる。5月中旬頃で日の出が午前6時過ぎくらいで、日没は午後9時を過ぎてからである。6月、7月はもっと長く、日の出が午前5時前後、日没が午後10時過ぎとなる。夕方7時や8時などは未だ太陽は高く存在し、日本の感覚で言えば同時期の午後2時から4時くらいに当たる。FIFA World CupWelt Meister)が欧州で開催される際、試合開始は現地時間の午後9時(日本標準時翌日午前4時)からが多いのは、この日照時間の長さのためである。午後6時や7時に試合開始としたのでは、太陽は天頂近くにある「真っ昼間」なので選手の体力消耗を早めてしまうからだ。フランスのレストランの夕食時間は午後8時からであり、7時前に店に行こうものなら、未だ準備中で開店していないと言って追い返されるのが落ちである。ドイツのレストランでは流石に追い返されることは少ないが、それでも、午後8時前の時間帯には、殆ど客はいない。アルプス以南のイタリアなどでもフランスやドイツと習慣を合わせているため同様である。つまり、6時や7時は欧州人にとって余暇を楽しむ「昼下がり」の一時であり、夕方という感覚ではなく、ましてや夕食時でもないのだ。


欧州の夏でどの街でも普通に見かけるカフェやレストランのオープンテラスは、この気候、日照時間、そして、蚊を含めた害虫がいないと言う条件が揃うことで初めて可能になる。日本では真夏の昼下がりに(あるいは夕方ですらも)平地の屋外で飲食など難行苦行、不快以外の何者でもない。夏の昼下がりに、大聖堂広場(Münster Platz)やTiti See湖畔、あるいは、週末旅行で訪れた街の広場周辺などにあるKaffeのオープンテラスで、ビールやEis Kaffe(冷たくないぬるいコーヒーの上にアイスクリームをのせたもの。バニラクリーム(Sahne)上掛けの有り無しを注文時に選べる。日本のアイスコーヒーを想像していたら驚いてしまう)を飲みながら優雅な時間を過ごせるのは、欧州ならではである。



真夏がないと言うことは、海水浴を始めとした水泳は楽しめないじゃないかと考える方もいるであろう。ところが、6月にもなれば、暖かい地中海は勿論、日本人からしたら年中冷たい海の北海(Nord See)や各地の湖(FreiburgならばSeeparkTiti See)において、大勢の海水(湖水)浴客で賑わうのである。いずれも水温20℃ほど(あるいはそれ以下)しかないのに、彼らは平気で泳いでいる。しかも、もっと驚くべき事には、かなりの人が、老若男女を問わず、自然のままの姿、即ち、水着を身につけずにうろついている。Professor Herttingが、7月頃、「SeeparkTiti Seeに行けば水泳を楽しめるよ。但し、水着は着けない方が良いよ。そうでないと、周りから白眼視されるから」と言って、いたずらっぽく笑ったことを今でも覚えている。教授の忠告は冗談交じりではあるが、ともかく、日本で言えば、温泉では裸で入浴するのが当たり前という感覚と同じと考えて良い。但し、別に決まりではないので水着を着る・着ないは各人の自由である。一方、欧州にも各地に温泉が存在し、裸で入浴する温泉も勿論あるが、原則水着着用の場合がある。ヴィクトリア女王やナポレオン3世と言った欧州の歴代の国王や皇帝を始めとして、ドストエフスキーやブラームスなどの文化人も度々訪れたことで有名なバーデン・バーデン(Baden-Baden)はFreiburgと同じBaden-Würtemberg州に属する街で、DBICEInter City Express 最高時速300 km/h)で約45分ほどで行き来できる位置(京都―神戸間くらい)にある。この地で一番有名なカラカラ浴場(Caracalla Therma)に入場する際、水着を持っているかどうか尋ねられ、持っていなければ、水着を先ず買ってきてくれと言われて中には入れないのだ。つまり、こちらは温泉ではなく温水プールと言う感覚である。従って、カラカラ浴場の中で体を洗う等はもってのほかである。日本の温泉浴を期待して出かける方は、この直ぐ近くにある由緒正しいフリードリッヒ浴場(Friedrichsbad 1877年創立)へ入場すればよい。こちらでは石けんで体を洗うこともできる。但し、大浴場は男女混浴で、勿論裸で浴槽内にはタオルなどは持ち込めない。ご注意を。

低水温でも平気で泳げる理由は、生理学的に考察すると、おそらく、馴化であろう。例えば、高い山に一気に登ると、急激に低下する気圧及び酸素濃度の低下のため呼吸困難、頭痛、吐き気、めまい等の症状が現れる。所謂高山病である。高山病に陥らないためには、登山の場合などは、じっくり時間をかけて登り、徐々に体を慣らすべきだと言うことは、大昔から知られている。これを生理学用語で馴化(Acclimatization)と言う。メキシコやペルーの人たちは、皆高地で生活しているため、低気圧と低酸素濃度に適応している、即ち、馴化しているので高山病にはならない。人間の肌の色の違いも広義の意味での馴化と考えられる。人類誕生の地は、アフリカであることがほぼ定説となっており、ここから人類は世界中に拡散していったと考えられている。それぞれの地に定着した各部族・民族は、その地の気候に馴化(順応)していかないと種の維持は困難となる。即ち、アフリカでは強烈な紫外線を含む太陽光から生体機能、特に、皮膚の腫瘍化を防ぐためにメラニン色素産生量が増え、肌の色は必然的に茶褐色から黒となると同時に、体温(中心温度)の高温化を防ぐために必要以上に体表面積を増やさないように高身長化を抑制するべく、DNAが変異を受け固定化して行った。一方、ヨーロッパに定着した部族は、年間を通じては短い日照時間と冷涼な気候のため、体温(中心温度)を逃がさないために体表面積を多くし、さらに、紫外線を多く取り込んで活性型ビタミンDを積極的に産生する必要があり、結果として、高身長で肌の色が薄い紅色となるように、DNAが変異を受け固定化して行った。アジア地域に定着した部族は、この中間的な特徴を備える。即ち、肌の色は黄色みを帯びた肌色となり、ヨーロッパ部族ほど高身長ではない様に、変異・固定化して行った。いずれも数十万年という気の遠くなるような時間をかけての馴化である。ここで、敢えてもう一度言うが、この様に人類にはたった一つの種しか存在しない事を忘れてはならない。

低水温での水泳の話に戻ると、年間平均気温が日本よりも10℃以上も低く、少なくとも、4ヶ月以上も最高気温が10℃以下が続くような冷涼な気候である欧州に長く住めば、おそらく、日本人を含めた東洋人にも馴化が起こり、低水温でも平気で泳げるようになると考えられる。但し、この馴化は個別の反応、即ち、各個体においてのみ生じた反応で子孫には受け継がれない。



939月末、週末日帰り旅行でマンハイム(Mannheim ICEFreiburgから約2時間弱)を訪れた。途中からあいにくの雨となり、その時の最高気温は12℃ほどしかなかった。日本で言えば真冬の気温である。Mannheimはライン川が街の中心部を流れ、川岸に船としては使われなくなった大型の客船を係留してあり、中は改造した博物館兼レストランとなっている。そこを訪れたときの光景は、今でもあまりにも衝撃的なので忘れられない。川岸近くのベンチに、普通の中年くらいの男性が、昼寝していたのである!しかも、他人に優しく、例えホームレスであろうと、困った人には直ぐに手をさしのべるドイツ人達が皆知らん顔なのだ。つまり、この男性は困っているわけでもなく、気温12℃で雨の降る中、普通に昼寝しているだけなのだ!つまり、これも馴化である。

前回の項でInstitutでの昼食はMensaで取ると述べたが、時々雨も降った。ところが、Mensaまでの道のりの数分間、Prof. Dr. HerttingDr. Dolezalも決して傘は差さない(持っているかどうかも怪しい)!英国紳士のこうもり傘は世界中で有名だが、欧州大陸人は、雨が降っても傘を差すのはほんの僅かの人に限られる。雨をSchauerとしか表現しない(これ以外の雨を表す単語は英語のRainにあたるRegenがあるが、気象予報ですら余り用いられない)彼らにとっては、雨に濡れても直ぐに乾くから傘など不要なのだ。最初は彼らの態度に戸惑ったが、一方で、私が傘を差していても、それをおかしいと指摘したりする様な野暮は誰もしないことに気付いた。それは個人の自由に属することだからだ。日本人の様に、十把一絡げに皆に併せないと村八分になる等と言う感覚は、彼らには到底理解できない。素晴らしいことである。

先日、息子達をつれて京都の大規模ショッピングモールを訪れた。日曜日なので、広い店内と言えども家族連れでごった返していて、すれ違うのにも苦労するほどであった。日本のこういう施設では、休日ともなれば見慣れた極く自然の光景である。店内のポスターやディスプレイには、誇らしげに「毎日夜9時まで営業」と表示してある。ところが、この様な光景はドイツではあり得ない。以前、この項で述べたように、ドイツには閉店法(Ladenschlußgesetz 脚注3という法律があり、私の滞在していた1990年代では、デパートやスーパーは勿論、個人商店までも含めて、一律、平日木曜日を除く月曜日から金曜日までは、午前7時から1830分まで(木曜日のみ2030分まで)。実質は、午前9時から午後6時まで(木曜日は午前9時から午後8時まで)、土曜日は何と午後2時まで!の営業時間で、さらには、日曜日・祝日は、一切の商店は営業してはならないとなっていた。従って、土曜日の午後2時以降は、街の中心街はゴーストタウンと化すのだ。ちなみに、フランス、スイス、オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコ等にも同種の法律があり、ドイツとは多少の営業時間の違いがある(オーストリア、スイスはドイツとほぼ同じ)にしても、日曜日・祝日は例外なく商店は休みである。さらには、この閉店法が足かせとなって、ドイツ・オーストリアにはコンビニエンス・ストアやドラッグ・ストアなどは、つい最近まで一切存在しなかった(脚注3)。これらは、いずれも米国の文化である(ここにも欧州と米国の違いが如実に垣間見える)。但し、レストランやカフェ等の飲食店は閉店法の例外なので、日曜日はウィンドウショッピングをしてレストランで食事をするという静かな休日となる。その他、森の民、ゲルマン民族の子孫であるドイツ人達の休日の過ごし方としては、森林(Freiburgの郊外にはかの有名な黒い森Schwalzwaldがある)の中を散歩やサイクリングをする、あるいは、美術館や博物館巡りをする、DBや車でAutobahn(アウトバーン:高速道路。速度無制限で全線無料)を利用して近郊(フランスやスイスも近郊)を小旅行する等の優雅な時間を過ごすのである。どこか1箇所の混雑する場所に渋滞に巻き込まれたりしながらわざわざ出かける等の行為は考えられない。何故こうなるかと言えば、ドイツではカトリック教会の力が強く、神の定めた安息日たる日曜日に働く等と言う行為は、神を冒涜することに他ならないからである。又、労働者の権利に対する意識も徹底しているため、土曜日の長時間労働などは認められないのである。日本の「土日は稼ぎ時」とか「お客様は神様」などと言う概念は全く通用しない。慣れてしまえば、これはこれでありと思えるようになったが、当初は、食料品や医薬品の調達もできないことに非常な不便も感じた。何せ、酒類は勿論、飲料水の自動販売機ですら殆ど存在しないのだ!自動販売機がないことは、リサイクル法の制定以降、徹底されたものであると同時に、前回で述べた様に、それ以前から、ビールを含めて缶詰は鮮度を保てないと頑固に信じられているドイツでは、缶の飲料水など存在しないからだ。また、空き瓶は、リサイクル法により、瓶の色別に回収するボックスが町中に備えられているが、自動販売機を設置したら空き瓶の回収が滞る可能性が高いため、存在しない(例外として、DBの駅構内には時々飲料水の自動販売機が置いてある)。空き缶自体は殆ど絶滅危惧種だが、日本でよく見かける空き地や公園に空き瓶が転がっている等という光景はお目にかかったことがない。これらのことは、何事も消費者の便宜や企業にとっての目先の利益等の経済効率を第1義に考える米国式概念に対して、公共性と遠い将来を見据えた環境保護を第1義に考える欧州式概念との大きな相違点である。どちらが優れているかは敢えて言及しない。生まれてこの方米国式消費文化にどっぷり浸かってきた我々にとっては、欧州式はやはり不便に感じることも事実ではある。ただ、お笑い芸人のネタでもないのに、「欧米」とか「外人」とか言った十把一絡げに括る物言い、マスコミが言っているからと無批判に追従する思考・発想は捨て去るべきである。以前から何度も繰り返しているが、こういった安直な思考・発想が、日本だけで年中行事の様に起こる「ワクチンの副作用」と言った非科学的騒動の根本原因であると考えられるからだ。

完璧とも思えるドイツ人の合理主義だが、たまに、首を傾げたくなるものもある。998Berlin国際神経化学学会および欧州神経化学学会合同隔年総会(International Society for Neurochemistry and European Society for Neurochemistry Joint Biennal Meetingが開かれ、両会ともに会員である私は発表参加することになり、再び欧州の地に足を踏み入れた。学会での講演発表を無事終了した後、Freiburgへ立ち寄り、夕食後、DBフライブルク中央駅(Freiburg i. Br. Hauptbahnhof)近くのホテルのKaffeで、いつものように美味しいコーヒーを飲もうと思った。8月と言えば初秋であり、やや肌寒さを覚えたので、オープンテラスではなく、店内に入っていった。結構、混雑していたので、漸く空席を見つけたのは、カウンターの洗い場の直ぐそばになった。コーヒーを注文し、差し出された絶品のコーヒーを楽しんでいた。と、その時、カウンターの中のバーテンダーが、洗剤を満たした浴槽に浸けていた使用済みのカップを取り出し、全く水洗いをせずに、ふきんで水気を拭い取ると、そのまま次の供給棚においたのである!勿論、私のカップもそこから取り出したものであった。そこで、初めて、私は思い出した。ドイツ人の食器洗いは洗剤を満たした水に浸けるだけで、決して水洗いはしないと言うことを!以前、Freiburgの日独協会(Deutsch-Japanische Gesellschaft Freiburg)で、その様な話を聞き、まさかとは思っていたのだが。更に、その後、いくつかの紀行文などを読み返したら、これは事実であり、日本人とドイツ人の夫婦では、このことで激しい夫婦喧嘩になることもしばしばだそうだ。ドイツ人の論理では、「洗剤を加えた水で充分汚れは落ちたのだから、後は拭き取るだけで何も問題はない。むしろ、これを更に水洗いにかけるなどは、水の無駄遣いに過ぎないし、流れ出る洗剤による環境汚染につながる」と言うのだ。一理はあるが、日本人側からすれば、「食器にこびりついた洗剤の化学成分を体内に繰り返して取り込む方が健康に問題ではないか」となり、これらの夫婦は大喧嘩になり、どちらも折れない。医学的に考察すると、洗剤の類は体内での蓄積性は殆ど無く速やかに便中に排泄されるので、確かに問題はない。但し、敢えて、それを毎回口にするのは気分的に決して良いものではない。また、最近の洗剤は環境汚染に配慮したものも増えており、これらを使用すれば、水洗いしても環境汚染につながる心配は少なくなり、やはり水洗いすべきだと考えるのだが。お互いに長年染みついた習慣故、今後も、おそらくドイツ人と日本人のカップルにおいてはこの件での論争は絶えないであろう。

さて、あれこれ尽きぬ話題に、つい今回も長文化してしまった。19943月、休暇を5日間頂き、初めてBerlinを訪れた。当時は、東西ドイツ統一が成されてから未だ3年半ほど経過したに過ぎず、現在、日本のSONY等の資本が参入した大規模ショッピングセンター(SONY Centreと言う)や劇場(ここでベルリン国際映画祭が開催される)や映画館などの娯楽施設が建ち並び、Berlinの新たな中心地となったポツダム広場(Potsdamer Platz)などは、見渡す限り広大な空き地で、その中に壁(ベルリンの壁)が異様な雰囲気で未だ立ちすくんでいた。旧東地区に立ち入ると、怪しげなロシア人?(ロシア語を喋っていた)たちがU-Bahn(地下鉄)の出入り口近くで闇たばこを売り捌いていたり、銃弾の跡が残るくすんだレンガ造りの建物が目立ったりと、東西分断の傷跡が生々しく残っていた。


ポツダムPotsdam)はDBS-Bahn(近郊電車)でBerlinから30分ほどのところにあり、この機会を利用して訪れた。3月初旬のベルリンやポツダムは、未だ真冬であり、最高気温も6℃ほどしかない。更には、京都の北山時雨とよく似た冷たい雨が、晴れていても突然襲ってきたりする。ポツダムに到着して早速サン・スーシ宮殿を訪れた。ベルサイユ宮殿を模倣し、それを凌駕する宮殿を建造したとされる同宮殿は、広大な敷地の中に幾つもの荘厳華麗な宮殿や庭園を抱える。その広大な庭園を散歩していた時のことである。目の前に全体が灰白色で頭と胸の一部、および、羽の一部のみが黒色という、ツートンカラーの鳥の一群が庭園の芝生で羽を休めて群がっていた。そして、この鳥の鳴き声が、「カァー、カァー」だったのだ。つまり、この鳥たちはカラスの群れであったのだ。半年以上前の夏にMünchen英国庭園(Englischer Garten)で一瞬見かけた鳥は、やはり、カラスだった。このカラスは、後に調べたところ、ズキンカラス(学名Corvus Corone Cornix、英名Hooded Crowという種類で、日本で通常見られるハシボソガラス(Corvus Corone Orientalis、日本にはこの他ハシブトガラスも多い)の亜種である。そして、これはヨーロッパのみに広く分布生息する種であることも分かった。私も、カラスと言えば、真っ黒という固定概念であったから、この時の衝撃は忘れられない。科学者にとっては、常識や固定観念に囚われず、常に目の前の事象をよく観察し徹底的に論理的に考察することこそ重要であると、改めてこのカラスたちに教えられた。BerlinからFreiburgへ帰ってくると、やや暖かみを感じる日が増え、Freiburgがドイツ人にとって一番住みたい街とされる理由を改めて実感した。ドイツでの生活ももう残り僅かとなっていたが、人生観そのものを大きく変える忘れ得ぬ日々であった。まだまだ書き足りないことが多々あるが、今回はこの辺りで稿を終えたい。今年の梅雨も明け、いつも通り連日人間の体温を凌駕する炎熱地獄の憂鬱な真夏が始まった(この項をアップする8月現在、連日気温37℃を超え、ついに四国では41℃を記録した。もはや亜熱帯を超え熱帯となってしまった)。皆様どうか御身ご自愛の程を。Tschüß (さようなら)。また、次回をお楽しみに。

 

脚注 1:汗腺には2種類有る。即ち、アポクリン腺(Apocrine Gland)とエクリン腺(Eccrine Gland)である。発汗により体温調節を行うのは、後者であり、後者は全身に分布する。エクリン腺からの分泌物は、殆どが水とNaClである。一方の前者、即ち、アポクリン腺は、毛孔に開口し、発汗による体温調節とは無関係である。アポクリン腺は、男女ともに、腋窩、乳輪、外陰部に分布存在している。アポクリン腺は、付属物として脂腺を有しており、この脂腺からの分泌物が主として体臭の基となる。汗腺総数は200万から500万であるが、日本人を含む東洋人の平均値は約230万個である。どちらの汗腺も交感神経による支配を受けており、従って、体温上昇や外的刺激による興奮、あるいは、危険を感知したりすると、両腺ともに、分泌量が増大する。

脚注 2:オーデコロンの発祥の地はドイツ・ケルン(Köln)である。18世紀前半にケルンで生まれた。ケルンはフランス語表記ではColonである(欧州では、他国の国名、地名を自国の言語で表記するのが極自然のこととなっている。もっとも、日本語のカタカナ表記だって同じようなものだが)。独仏は第二次世界大戦に至るまで、常にお互いを侵略しあう戦争を繰り返してきた。18世紀後半から19世紀前半に至るナポレオン1世によるドイツ侵略戦争の際、同地を占領したナポレオン1世やフランス軍兵士達が、既にケルンで普及していた香水を自国の妻や恋人への土産として持ち帰り、これがフランス全土に普及した。従って、その香水の名前を「ケルンの水 Aue de Colon」と名付けたのが始まりである。現在でも有名なブランド4711は、ナポレオン軍が占領した時に付けた番地を基にしている。

脚注31996年と2003年の2度に亘り、閉店法が一部改正された。現在では月曜日から金曜日までが朝9時から夕方8時まで、土曜日も朝9時から夕方8時まで(一部のデパート等は土曜日は午後6時までのところもある)となった。ただし、原則日曜日・祝日はやはり全て休日となる。さらには、DBの各中央駅(Hauptbahnhof)にドイツ資本のドラッグ・ストア兼コンビニエンスストアであるRossmannが出来、こちらだけは、営業時間も月曜日から土曜日までが朝7時から夜10時までとなっていて、何と日曜日・祝日も、朝8時から夜10時まで営業という、ドイツでは破格の長時間営業となっている!勿論、土曜日・日曜日に勤務している店員は、明らかに嫌々ながら働いていると言う態度がありありで、日本や米国のコンビニエンスストアの営業時間や店員の態度とは比較にならないが。2002Freiburgを訪れた際、DBフライブルク中央駅にこの店が開店していて、日曜日なのに営業しているのを見て驚いた。2006FIFA World Cupドイツ大会を控え、多数の外国人観光客、特に、北米と日本からの観光客(この人達は日曜日に開いている店がないことに、自分たちの慣習を押しつけて強くクレームを言うに決まっているから)がやってくることを当て込んで、産業界がカトリック教会と労働組合に圧力をかけ、漸く妥協したのが、この改正閉店法である。


写真(ほぼ完成形ですが時々編集修正することがあります)

#1. ミュンヘン新市庁舎(München Neues Rathaus)93年7月27日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4

#2. ミュンヘン ニンフェンブルク宮殿(München Schloß Nymphenburg)93年7月29日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2

#3. ヘレンキムゼー城(Schloß Herren Insel Chiemsee)バイエルン王ルードヴィッヒ2世が、尊敬するルイ14世のヴェルサイユ宮殿を完全コピーした宮殿 私は2回訪れ、2度とも大勢の観光客であふれていたが、東洋人(と思われる)観光客は私たちだけであった 97年8月10日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0

#4. ローテンブルク レーダー門 (Rothenburg ob der Tauber Rödertor) 93年8月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#5. ローテンブルク マルクト広場 (Rothenburg ob der Tauber Marktplatz) 93年8月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#6.  ロマンティック街道(Romantische Straße)終点のフュッセン(Füssen)近郊にある奇蹟の教会と呼ばれるヴィース教会(Wieskirche) 93年8月1日  Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#7. オーストリア ザルツブルク(Salzburg Österreich)のホーエンザルツブルク城塞(Festung Hohensalzburg)からの夜景 93年7月26日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#8. フライブルク市庁舎前広場(Rathaus Platz Freiburg i. Br.)石畳に彫り込まれている紋章は姉妹都市の紋章だが、一番手前のものは松山市である 93年5月17日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#9. フライブルク大聖堂(Münster Freiburg i. Br.)99年8月20日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#10. ヴュルツブルク旧市街(Altes Stadt Würzburg)マリエンブルク城塞Marienburg Schloss)から望む 99年8月14日 Canon New F-1 New FD 85mm/f=1.2

#11. オランダ アムステルダム中央駅(Centraal Station Amsterdam, The Netherlands)ここで開催された国際薬理学会総会(International Congress of Pharmacology)に参加発表した  90年7月2日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#12. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のモーツアルト像 89年6月8日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#13. スイス チューリッヒ(Zürich Schweiz)プレディガー教会とチューリッヒ大学(Predigerkirche & Zürich Universtät リンデンホーフの丘(Lindenhof)から望む 93年5月31日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2

#14. フライブルク新視聴者(Neues Rathaus Freiburg i. Br.)99年8月20日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#15. オーストリア ザルツブルク(Salzburg Österreich)ミラベル宮殿(Schloß Mirabell)93年7月24日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#16. オーストリア ザルツブルク(Salzburg Österreich)モーツアルト広場(Mozart Platz)93年7月24日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2,0

#17. オーストリア ザルツブルク(Salzburg Österreich)旧市街(Altes Stadt)93年7月25日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#18. スイス バーゼル(Basel Schweiz)市庁舎(Rathaus)93年6月5日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#19. ロンドン(London UK)国会議事堂(Big Ben)と2階建てバス(Double Decker)90年6月14日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#20. ロンドン(London UK)トラファルガー広場(Trafalgar Square)の夜景 97年8月28日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#21. パリ(Paris France)の夕景 59階建てのモンパルナスタワー(Tour Montparnasse)の屋上から望む 90年6月8日 Canon F-1 FD 50mm/f=1,4
#22. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のシェーンブルン宮殿 (Schloß Schönbrunn) 89年6月8日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#23.  ノイシュバンシュタイン城(Schloß Neuschwanstein)バイエルン王ルードヴィッヒ2世の居城93年7月29日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1,4
#24.  オーストリア ザルツブルク(Salzburg Österreich)から望むアルプス(Österreicher Alpen) 93年7月25日 Canon F-1 New FD 200mm/f=2,8
#25. ベルリン(Berlin Deutschland)ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)東西ベルリン分断時代は、この門のすぐ東に壁があり、くぐることはおろか近寄ることすら出来なかった。94年3月4日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#26. ベルリン(Berlin)大聖堂(Berliner Dom)プロイセン王国(後のドイツ第二帝国)の支配者ホーレンツォレルン家の廟所。旧東ベルリンにある 94年3月5日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#27. ベルリン(Berlin)ニコライ教会(Nikolaikirche)ベルリン最古の教会。同じく旧東ベルリン 94年3月5日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4,0
#28. ベルリン(Berlin)カイザーヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Cedächtnis-Kirche)1943年の連合軍の空襲により破壊されたが、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして、そのままの形で永らく保存されてきた。現在、改修工事中 99年8月11日 Canon F-1 New FD 17mm/f=1.4
#29. ベルリンBerlin)戦勝記念塔 勝利の女神ヴィクトリアSiegessäule94年3月4日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4,0
#30. ドレスデン(Dresden Deutschland)レジデンツ城の時計塔およびフラウエン教会(Residenzschloß Uhrenturm & Frauenkirche)かつて中欧で最も美しい都市の一つに挙げられたこの街も、第二次世界大戦の連合軍の空襲により一夜で灰燼に帰した。その後、このフラウエン教会は、ベルリンのカイザーヴィルヘルム教会と同様、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとしてそのままの形で残されていたが、私の訪問した頃から再建工事が始まり、現在では美しい姿によみがえっている 95年10月14日 Canon F-1 FD 35mm/f=2.0
#31. リヨン(Lyon France)ベルクール広場 ルイ14世騎馬像とノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂(Place de Bellecour & Basilique Notre-Dame de Fourviere)93年8月20日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#32. リヨン(Lyon France)ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourviere)93年8月20日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2
#33. モンペリエ(Montpellier France)凱旋門(Arc de Triomphe)国際神経化学学会総会がこの地で開催され発表酸化した 93年8月24日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#34. モンペリエ(Montpellier France)水道(Aqueduc St Clement)プロヴァンス地方(Provence)は数多くのローマ遺跡が残存している 93年8月24日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2
#35. アヴィニヨン(Avignon France)法王庁(Palais des Papes)1309年、時の法王クレメンス5世がフランス王の圧力に屈し、ローマからアヴィニヨンに移住した。以後、70年近くは法王庁は、このアヴィニョンに存在した。世界史で有名な「教皇のバビロン捕囚」である。93年8月25日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2,0
#36. ニーム(Nimes France)神殿メゾン・カレ(Maison Carree)建造はBC1世紀 プロヴァンス地方(Provence)は数多くのローマ遺跡が残存している 93年8月25日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#37. ヘレンキムゼー城(Schloß Herren Insel Chiemsee)#3で紹介したバイエルン王ルードヴィッヒ2世が最後に建造した宮殿の内部、鏡の間。本家であるヴェルサイユ宮殿にも同様のもの(#39)があるが、それよりも広く豪華である。93年 7月27日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0
#38. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)の王宮(Hofburg)現在内部は博物館となっている 97年8月6日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2,0
#39. ヴェルサイユ宮殿(Versailles France)鏡の間 2002年9月10日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2,0
#40. ヴェルサイユ宮殿(Versailles France)2002年9月10日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2,0
#41. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)の新王宮(Neues Hofburg)現在内部は博物館となっている 97年8月6日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2,0
#42. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のベルヴェデーレ宮殿(Schloß Belvedere)ここも現在内部は博物館となっている 89年6月17日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2,0
#43. スイス ジュネーヴ レマン湖の大噴水(Geneve Lac Leman Schweiz)89年6月12日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#44. スイス ローザンヌ(Lausanne Schweiz)のノートルダム大聖堂(Catedrale Notre-Dame)89年6月14日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2:0
#45. スイス ルツェルン(Luzern Schweiz)のフィーアヴァルトシュテッテ湖(Vierwaldstätter See)中央に見えるカペル橋(Kapellbrücke)は1333年に建造された欧州一古い木造橋だったが、1995年に火災により焼失した(現在は再建されている)93年5月31日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#46. スイス バーゼル(Basel Schweiz)ライン川下りから望む世界最大の製薬企業チバガイギー(Chiba Geigy 現ノヴァルティス Novartis)本社屋 93年7月18日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#47. スイス バーゼル(Basel Schweiz)ライン川下りから望むチバガイギー(Chiba Geigy 現ノヴァルティス Novartis)本社屋 93年7月18日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#48. スイス モントルー(Montreux Schweiz)から望むレマン湖とアルプス(Lac Lemann Alpen)89年6月17日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2,0
#49. ポツダム(Potsdam Deutschland)のツェツェリーエンホフ宮殿(Schloß Cecillienhof)ポツダム会談の会場 95年10月22日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0
#50. ポツダム(Potsdam Deutschland)のニコライ教会と旧市庁舎(Nikolaikirche & Altes Rathaus)95年10月22日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#51. ポツダム(Potsdam Deutschland)のサンスーシ宮殿(Schloß San Ssouci)中国茶館(Chinesisches Teehaus)95年10月22日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#52. ポツダム(Potsdam Deutschland)のサンスーシ宮殿(Schloß San Ssouci)世界遺産 95年10月22日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#53. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のシェーンブルン宮殿(Schloß Schönbrunn)89年6月16日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#54. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のシェーンブルン宮殿(Schloß Schönbrunn)グロリエッテ(Gloriette) 89年6月16日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#55. BahnCard 仮カードと本カード PENTAX K-5 IIs SMC PENTAX DA Macro 100mm/f=2.8
#56. アントワープ ベルギーAntwerpen Belgieのノートルダム大寺院(O.L.Vrouw Kathedraal)日本で有名な「フランダースの犬」の最後の場面、主人公ネロと愛犬パトラッシュが天国に召された教会(しかし、この物語の原作者は英国人で、現地では物語そのものが殆ど知られていない)93年9月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#57. ストラスブール(Strasbourg Alsace France)の大聖堂(Cathedrale Notre Dame)93年12月22日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#58. パリ セーヌ川(Paris France)に立つ自由の女神  後方に見えるのは勿論エッフェル塔。米国New Yorkにあるものは、フレデリック バートルディ (Frédéric Auguste Bartholdi) と言うColmar生まれの彫刻家が彼の母親をモデルに作成したものを1886年米国に寄贈したものである 即ち、こちらが本家である。また、コルマーに彼の博物館があり、そこに70cm大の自由の女神(正真正銘の第1号)が陳列してある 90年10月22日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#59. ブレーメン(Bremen Deutschland)のブレーメンの音楽隊像 96年6月16日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#60. ブレーメン(Bremen Deutschland)ローラント像と市庁舎(Roland & Rathaus)96年6月16日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#61. コルマー アルザス(Colmar Alsace France) 2002年9月8日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#62. リヨン(Lyon France)ソーヌ川左岸から望む旧市街とノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourviere)の夜景 2002年9月14日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0
#63. フライブルク郊外メルツハウゼン(Freiburg i. Br. Merzhausen Deutschland 私の住んだところ)の丘(Schloßweg)からフライブルク市街を望む。私の右後方下端に写っている麦わらの束は、8月になれば、この様に普通に見られる。正しくミレーの絵画を思い起こさせるヨーロッパの原風景である 1999年8月17日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#64. Prof. Dr. Rolf Jackischと奥様のFrau Iris Landenberger Jackischご夫妻 ご自宅に晩餐に招待された時に撮影 公私に亘り大変お世話になった。 1999年8月18日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#65. プラハ チェコ(Praha Czech)の旧市街広場(Staromestske Namesti)でDr. Vladimir Dolezalと 夜10時半くらいで気温は17℃程度しかないが、彼は半袖のTシャツ1枚である 97年7月31日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#66. オーストリア シュタイン(Stein Österreich)市役所(Rathaus)前 右端のAudiProf. Dr. George Herttingの車で前に立っているのが教授本人でる 95年10月7日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#67. ハンブルク(Hmburg Deutschland)の港(Hafen)95年10月22日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#68. リューベック(Lübeck Deutschland)のホルステン門(Holstentor)14世紀ハンブルクと共にハンザ同盟の有力都市として繁栄した。95年10月20日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#69. アントワープ ベルギー(Antwerpen Belgie)の中央駅前広場(Centraal Station)ここにも多数のカフェがあり、どこも賑わっている。93年9月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#70. ストラスブール アルザス(Colmar Alsace France)プチ・フランス(Petit France) 97年8月2日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#71. コルマー アルザス(Colmar Alsace France)の市庁舎(Hotel) 93年8月14日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#72. プラハ チェコ(Praha Czech)のカレル橋の西端マラー・ストラーナ橋塔 95年10月10日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#73. パリ(Paris France)サクレクール寺院(Basilique du Sacre Coeur)93年8月30日 Canon F-1 FD 28mm/f=2.0
#74. モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel France)世界遺産 93年8月29日 Canon F-1 FD 28mm/f=2.0
#75. ヴュルツブルク旧市街(Altes Stadt Würzburg)マリエンブルク城塞(Marienburg Schloss)から望む レジデンツ(Residenz)これも世界遺産 99年8月16日 Canon New F-1 New FD 85mm/f=1.2
#76. フライブルク郊外 チチ湖(Außer Freiburg i. Br. Titisee Deutschland) 1999年8月6日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#77. プラハ チェコ(Praha Czech)のプラハ城から望む旧市街 大きなドームを持つ教会は聖ニコラス教会(Kostel. SV. Mikulase) 95年10月10日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2
#78. プラハ チェコ(Praha Czech)聖ヴィート大聖堂(Chram SV:. Vita) 95年10月10日 Canon F-1 New FD 20mm/f=2.8
#79. プラハ チェコ(Praha Czech)のカレル橋の旧市街橋塔 95年10月10日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#80. プラハ チェコ(Praha Czech)の旧市街広場 97年8月6日 Canon NewF-1 New FD 16mm/f=2.8 Fish Eye
#81. アヴィニヨン(Avignon France)アヴィニヨン橋(Pont St-Beneze)完成当時はローヌ川の対岸まで掛かっていたが、戦争の破壊により途中でと切れたままとなっている。93年8月25日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2
#82. マンドリュー・ラ・ナプール コート・ダ・ジュール(Mandelieu La Napoule Cote d'Azur France)海水浴場となっている。勿論、地中海 遠くにアルプスが見える。この地のリゾートホテルで臨床薬理学国際シンポジウムが開かれ、発表参加した 89年6月5日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#83. フライブルク 湖公園(Freiburg i. Br. Seepark)93年に購入した絵はがき
#84. バーデン・バーデン(Baden-Baden Deutschland)にて 99年8月17日
#85. オーストリア シュタイン市内(Stein Österreich)裏通りの昼下がりの風景 95年10月7日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#86. パリ(Paris France)エッフェル塔 2002年9月9日 Canon New F-1 New FD 35mm/f=2.0
#87. ドナウエッシンゲン(Donaueschingen Deutschland)ドナウ川源流の街。ドナウの泉。これがドナウ川の源泉である。正式には、市内を流れるブリガッハ川とブレーク川とが合流した地点がドナウ川の起点であり、そこにはDonau 2840kmと言う記念碑が建っている。93年6月13日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#88. リヨン(Lyon France)ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourviere) 2002年9月5日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0
#89. マンハイム(Mannheim Deutschland)雨霞のイエズス会教会(Jesuitenkirche)93年9月25日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#90. Professor Dr. Georg Hertting 私にとっては正しく欧州における父とも呼ぶべき存在である 93年3月24日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#91. オーストリア クレムス(Krems an der Donau Österreich)市街地 95年10月7日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#92. ツェレ(Celle Deutschland)ドイツで最も木組みの家が多く残存する街 北ドイツの真珠と称えられている 95年10月14日 Canon F-1 FD 35mm/f=2.0
#93. ドレスデン(Dresden Deutschland)カトリック旧宮廷教会とゼンパーオペラの夜景(Katholische Hofkirche & Semperoper) 95年10月10日 Canon F-1 FD 35mm/f=2.0
#94 ミュンヘン ニンフェンブルク宮殿(München Schloß Nymphenburg)93年7月29日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2
#95. ハイデルベルク ハイデルベルク城(Heidelberg Schloß Heidelberg)マルクト広場(Markt Platz)から望む 93年6月25日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2
#96. マンハイム(Mannheim Deutschland)ライン川の博物館船(Museumschiff)このすぐ近くで昼寝をしている男がいた 93年9月25日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#97. マンハイム(Mannheim Deutschland)選帝侯宮殿(Barockschloß Mannheim)93年9月25日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#98. マンハイム(Mannheim Deutschland)街のシンボル給水塔(Wasserturm)93年9月25日
#98. プラハ チェコ(Praha Czech)カレル橋から望むプラハ城とマラー・ストラーナ橋塔の夜景 95年10月15日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#99. オーストリア ウィーン(Wien Österreich)のシュテファン寺院(Stephansdom)95年10月13日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#100. オーストリア ウィーンWien Österreichのペーター教会(三位一体教会とも呼ぶ Peterskirche95年10月13日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#101. オーストリア ウィーンWien Österreichのウィーン大学(Universität Wien)Prof. Dr. Herttingの母校 95年10月8日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#102.,103. プラハ チェコPraha Czech投宿したペンションのオーナーDr. Kabelとスタッフ(彼女の母親は日本人で日本語が話せた)、そしてDr. Vladimir Dolezalと 95年10月16日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#104. マイセン(Meißen Deutschland)陶磁器で世界的に有名な街。1709年ヨーロッパで初めて白色磁器の製造に成功した。エルベ川の畔の丘に立つアルプレヒト城と大聖堂(Albrechtsburg & Dom)。ちなみに、エルベ川の源流はチェコであり、プラハを流れるときはブルタヴァ川と呼ばれるが、ドイツに入るとエルベ川と呼称が変わる。そして、最後にはハンブルクから北海に流れ出る。95年10月15日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#105. マイセンMeißen)劇場広場から望むアル プレヒト城と大聖堂(Albrechtsburg & Dom von Theater Platz)。95年10月15日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#106. ドレスデン(Dresden Deutschland)修復中のフラウエン教会(Frauenkirche) 上記で述べた様に、第二次世界大戦の連合軍の空襲により一夜でがれきと化したフラウエン教会は、ベルリ ンのカイザーヴィルヘルム教会と同様、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとしてそのままの形で残されていたが、私の訪問した頃から再建工事が始まり、現在 では美しい姿によみがえっている 95年10月14日 Canon F-1 FD 35mm/f=2.0
#107. ベルリン(Berlin)森鴎外の小説「舞姫」の出会いの舞台であるマリエン教会とテレビ塔(Marienkirche & Fernsehturm)この地区は旧東ベルリンであり、テレビ塔は西ベルリンに対する東側の建築技術の先進性の誇示と西に対する監視の役割も担っていた。95年8月21日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0
#108. フライブルク中央駅Freiburg i. Br. Hauptbahnhof)背景に見える尖塔は聖イエズス教会(Herz Jesuskirche)その袂にFuck the Facismの落書きがあった。97年8月4日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#109. ドレスデン(Dresden Deutschland)新市街から望む旧市街地区とエルベ川 95年10月16日 Canon F-1 FD 35mm/f=2.0
#110. ベルリン(Berlin)帝国議会(現ドイツ連邦議会議事堂)(Reichstag, Deutscher Bundestag)ドイツ第二帝国(1871年〜1918年)時代に建造。その後、第一次世界大戦後のワイマール共和国時代まで使用されてきたが、ナチスが1932年の総選挙により政権を掌握した翌年の1933年、突然炎上した。この事件をナチスは共産党員が放火したと激しく非難して共産党を危険分子と見なすように世論を扇動し、遂に、共産党を非合法化し独裁体制を強固なものとした。ところが事実はナチス自身が計画的にこの議事堂に放火していたことが後に明らかとなった。この放火事件により、その時まで存在したドームを含めた多くが消失した。東西ベルリン分断後は首都がボンに移ったため、長らく放置されてきた。90年にベルリンが再び首都となり、それ以降10年掛けてドームの再建をも含めた大規模改修工事が行われ、国会議事堂として復活した。写真は修復工事が急ピッチで行われていた頃である。99年8月12日 Canon New F-1 New FD 28mm/f=2.0
#111. カールスルーエKarlsruhe Baden-Würtemberg Deutschland)カールスルーエ城 Schloß Karlsruhe 99年8月5日 Canon New F-1 New FD 24mm/f=2.0
#112.. ヴュルツブルク(Würzburg)大聖堂(Dom)99年8月14日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#113.. ヴュルツブルク(Würzburg)旧市街(Alte StadtMarienburg Schlossから望む 99年8月14日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2
#114. ドレスデン(Dresden Deutschland)ドレスデン城(Residenzschloß)シュタールホーフ
Stallhof)の外壁に描かれた「君主の行列(Der Fürstenzug)」という壮大な壁画。長さ101mもある。 95年10月14日 Canon F-1 FD 17mm/f=4.0
#115. フライブルク郊外黒い森 (Freiburg i. Br. Schwarzwald Deutschland)にて。 Prof. Dr. Rolf Jackischとストラスブール大学(University of Strasbourg, France)からの大学院生と。彼女は日本語をかなり話せた。 1999年8月17日 Canon New F-1 New FD 50mm/f=1.4
#116. ベルリン(Berlin)ベルリン市庁舎(旧東ベルリン市庁舎 赤の市庁舎Rotes Rathausとも呼ばれる)94年3月4日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#117. ベルリン(Berlin)帝国議会議事堂(現ドイツ連邦議会議事堂)(Reichstag, Deutscher Bundestag)#110参照。大規模改修工事が始まる直前の姿。94年3月4日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#118. ベルリン(Berlin)大規模改修工事中のポツダム広場(Potsdamer Platz)遠くに帝国議会が見えるが、この時はまだドーム部分の工事が始まっていなかった。95年10月17日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0
#119. ベルリン(Berlin)シャルロッテンブルク宮殿(Schloß Charlottenburg)初代プロイセン王国国王フリードリッヒ1世の妃ゾフィー・シャルロッテの夏の離宮。94年3月3日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4.0
#120. ポツダム(Potsdam Deutschland)のサンスーシ宮殿(Schloß San Ssouci)新宮殿(Neues Palais)94年3月5日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#121. ポツダム(Potsdam Deutschland)のサンスーシ宮殿(Schloß San Ssouci)新宮殿 (Neues Palais)94年3月5日 Canon F-1 New FD 28mm/f=2.0
#122. ズキンカラス(学名Corvus Corone Cornix英名Hooded Crow
#123. ドイツの春の訪れを告げる日本桜(Japanisch Kirsch)フライブルクでは3月になれば咲き始める。しかし、どう見ても梅である。 94年3月フライブルク市民公園(Stadt Garten)で Canon F-1 New FD 50mm/f=3.5 Macro
#124. ケルンKöln Deutschland)大聖堂(Dom)。93年9月5日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4.0
#125. ケルンKöln Deutschland)大聖堂(Dom)。93年9月5日 Canon F-1 New FD 17mm/f=4.0
#126. ドイツ鉄道DBの車窓から眺めるライン川渓谷Rhein)。96年6月24日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4
#127. プラハ チェコ(Praha Czech)の旧市街広場(Staromestske Namesti)でDr. Vladimir Dolezalと 夜10時半くらいで気温は17℃程度しかないが、彼は半袖のTシャツ1枚である。中央は私の妻。 97年7月31日 Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0