休診日:日曜・祝日

     水曜日と土曜日は午前のみです

京都市北区西賀茂榿ノ木町31−2
院長 諸岡 憲(もろおか けん)
  1. 「ドイツ人の主食はジャガイモではなく肉」:豊かなドイツの食文化
 

「ドイツ人の主食はジャガイモではなく肉」:豊かなドイツの食文化

大変遅くなりましたが、3回目の紀行です。今回は、前回予告しました様に、ドイツの食を中心にした話題にしたいと思います。

 

Guten Appetit!(召し上がれ)」と、大男の給仕が料理をテーブルに運んできた。私のドイツ料理の中でも大のお気に入りの、「Bohnen Eintopf mit Brötchen(豆の煮込みシチュー ドイツパン添え)」である。ここは、DBDeutsche Bahn ドイツ鉄道)の食堂車である。

  DBには、最速のICEInterCityExpress最高時速300 km/h)は勿論、所謂特急のECEuroCity)やICInterCity)にも、日本のJRがとうの昔に廃止した食堂車がある。このEintopfは、ドイツの代表的な家庭料理で、Bohnen(豆)以外にも、主菜としてWurst(ヴルストと発音する。ソーセージのこと。ドイツ語のWは英語のVにあたる)を用いる場合も多く、その他Kartoffel(ジャガイモ)等の多種多様な野菜類を食材として用いて、各家庭毎に独特な味付け工夫を成されて食べられている。

  DBBohnen Eintopfが絶品であるのは、何と言っても10数種類の豆(エンドウ豆、大豆、レンズ豆等々)をじっくりと数種類以上のブィヨンで煮込んだ手の込んだ料理だからである。添え物の焼きたてのBrötchen(ドイツパン)も数種類あり、しかも食べ放題になっている。Berlin、Aachen、Mainz, Hamburg、München、Köln、Dresden等の街へ長距離旅行や学会出張をする際、私は大概DBを利用し、その際、毎回のように食堂車で食事をし、ほぼお決まりの様に、この料理を注文していたのだが、毎回、同じようでありながら、微妙に味わいが違っており、飽きることはなかった。

 

ドイツ人の主食は、ジャガイモと誤解している日本人は、ドイツについての紀行文等を著している人々(この人達は実は何も本質を理解していない)ですら、未だに多く、渡独前もその後も、同じような質問を受け、辟易とすることが多い。「ドイツ人て、主食はジャガイモでしょう?」という、質問である。それに対して私は、「いいえ、肉が主食です」と答え、相手は驚いたり、怪訝な顔になったりする。上記のBohnen Eintopfは、ベジタリアン料理なので確かに肉は入っていない。しかし、ドイツでは、原則主食は、肉であり、ジャガイモもパンもパスタも米(主として、スペインやイタリア等で生産される所謂准輸入米(EU域内なので国内扱い)。インディカ米(長粒種。所謂タイ米)だが、案外よく食べる)も、全て必ずしも必須のものではなく、所謂添え物に過ぎない。但し、ジャガイモ料理も驚異的なほどの種類があり、日本ではおよそお目にかからないような調理法で食されることもしばしばである。パンについても同様の事が言え、数10種類以上のパンが街のBäckerei(パン屋)やHotel内レストランの朝食(Frühstück)に並び、どれもとてつもなく美味である。贔屓目もあるが、フランスのバケットより遙かに美味である(少なくとも両国の同ランクのホテルの朝食に並ぶパンを比較すれば)。その様な多様で美味なジャガイモ料理(ジャガイモ自体も美味)もパンも、必ず毎食供されるわけではない。毎食供されるのは、やはり、主食である肉なのである。更には、ジャガイモ料理もパンも全く供されず、代わりにサラダのみの場合もしばしばである。つまり、ジャガイモも米もドイツ人にとっては同列の「野菜」であり、事実、寿司屋(1990年代後半以降、ドイツ各地で急激に増加した)の「ちらし寿司」もドイツ語では「Reis Salat 米サラダ」と呼称されて、人気メニューとなっている。又、これも日本人にとっては意外であろうが、パスタはドイツ人の大好物の一つである。どこの街にも必ず2つ以上のイタリアンレストラン(イタリア人が経営し、調理人、給仕等も全てイタリア人)があり、パスタやピザは勿論、正しく本格的イタリア料理が堪能できる。言うまでもなく、パスタも正真正銘の本場イタリア同様の味わいであるのだが、パスタの中でドイツ人にとっての一番人気は、Spagetti Bolognäse(ボローニャ風スパゲッティ)である。これは、日本風に言えばスパゲッティ・ミートソースであり、豚挽肉をトマトベースのソースで煮込んだものを絡めたスパゲッティである。面白いのは、Restaurantのメニューに必ず載っているばかりでなく、所謂レトルト食品として、どこのスーパーにでも売っていることである。しかも、テレビのコマーシャルにしょっちゅう登場する。決め手のコピー文句は「Schnell! はやい!Schmeckt! うまい!」である。さしづめ、日本で言えば、カップラーメンのような存在である。

 ところで、一部の日本人には、ドイツのイタリア料理は、本場のイタリアは勿論、日本(勿論、日本人シェフ)のそれに比して遙かに劣る等と、うそぶく人が見られる。しかしながら、これは、公正さを欠いた偏見による信頼性に乏しい非科学的評価と断じざるを得ない何故ならば、この様な評価を下す人たちのドイツ文化に対する経験値はそれほど高くなく、しかも比較対照群としているのが、東京辺りの一流のふりをしたレストラン(コストパフォーマンスを度外視しただけなならばまだしも、悪意に満ちた低俗なマスコミが根拠もなく礼賛している様な店)のものであるので、劣悪な日本のマスコミが垂れ流す医療情報と同様、非科学的経験論に基づく無意味な論議に過ぎないからだ。確かに、ドイツの幾つかの街で経験するイタリア料理は、量の多さに比べると味わいの繊細さに欠ける店も存在するのは事実である。一方、ここ日本においては、一流店と威張っていながら、実質は粗悪な素材を用いて雑な料理を平気で客に提供し、それを味わう客達も、公正に評価する自らの力量がないために、マスコミの虚飾にまみれた宣伝に盲目的追従をしてその様な店に列をなし、有り難がって、あるいは、知ったかぶりをして食べているようなケースが掃いて捨てるほど多いのも事実である。Freiburg im Breisgauでおすすめのイタリア料理店を一つあげて、次の項に移りたい。市民劇場(Stadt Theater)の直ぐ近く、Sedan StraßeにあるBurger Stubeだ。料理はどれも絶品で、何時も混んでいる。後に私が、幾つかのイタリアの街(Milano、Firenze、Venezia等)を訪れて食した正しく本格的イタリア料理とさほど引けを取っていなかった。給仕は陽気なイタリア人青年たちで、私の時代に働いていた長身で金髪の青年は、イタリア語で何時も陽気に歌を歌っており、ドイツ語は勿論、英語も堪能に話してくれた。また、私に、「有難うは日本語で何というのか」などと、何度か通ううちに打ち解けて質問してきたりした。ここで過ごした時間と食した各種パスタ、ピザやミネストローネスープの味は今でも忘れられない。

 

 ドイツ人の3食の取り方も日本人のそれとは大いに異なる。

   先ず、朝食Frühstück)。朝は近所のパン屋(Bäckerei)から購入(毎朝配達してくれる)する焼きたてのパン(Brötchen)と、ハム(Schinken)やチーズ(Käse)、そして、卵(Ei)料理(ゆで卵 Gekochtes Eiなど)で、飲み物はほぼ排他的にコーヒー(Kaffe)だ。

   昼は、ドイツ人にとってはメインの食事であり、1日のうちで最もしっかりと食事を行う時である。つまり、一般的な日本人にとっての夕食に相当する。但し、平日の昼食Mittagessen)には、高々1時間程度の時間しか割かず、イタリア人のように昼食とその後の休憩に3時間も割くなどという非生産的なことはしない。また、日本と決定的に違うことは、朝食に絶対スープ類を食べず、逆に昼食には、スープ類は必須の料理となっていて、正餐の昼食でも必ずスープは出されるフランス料理では厳密な正餐時には、スープを食さないので、やはり、これはドイツ(オーストリア)料理の特異点でもある。また、第1次世界大戦以前は、ドイツ(オーストリア)でも朝食時にスープを食べる家庭もあったそうだが、朝にスープを食べることは非生産的であると考えられる様になり、いつの間にか廃れたと言うことである。

   最後に夕食AbendessenまたはAbendbrot)。これは極めて簡素で、Kaltes Tisch(冷たい料理)と呼ばれるチーズやハムを幾つか食べて、ビール(Bier)かワイン(Wein)を少し飲んで終わり、と言うもので、日本人からは想像もできない夕食である。又、この夕食を抜く者さえいる(日本人で朝食を摂らない者がいるのと似ている)。勿論、外食やパーティにおける食事はこの通りではなく、豪華な夕食をレストランで取ることは週末にはよく行われる。逆に、昼をImbiss(ファストフードの立ち食いスタンド。カウンター席やテーブルを備える店もある)の

Wurst mit Brötchen(パン付きソーセージ。所謂ホットドッグ)やKebab(トルコ風羊肉のサンドウィッチ)で軽く済ませる場合もある。私も、普段は大学の学生食堂(Mensa 後述)で昼食を取っていたのだが、Mensaが休業の時は、街へ出てKebabで昼食を済ませた。ドイツは第二次世界大戦後に陥った労働力不足を補うため、多数のトルコ人移民を受け入れ、彼ら及び彼らの子孫がどの街にも多く住んでいる(Residenz)。そして、彼らにとってKebabは手軽でおいしい昼食であり、あちこちにKebab Imbissの看板が目にとまる。ドイツでは勿論パンはBrötchenであり、特大の平たい丸パン(直径30 cm程度)に割面を入れて薄切りの羊肉のベーコンとたっぷりの野菜を挟み、そこにヨーグルトベースのソース(注文時にソース無しも選べる)をこれまたたっぷりかけてもらって、豪快にほおばると、何とも幸せで懐かしいうまさなのだ。おっと、勿論、トルコ風スープも合わせて注文する事を忘れてはならない。

   以上の様な食生活様式は、ドイツ人のあらゆる事象において客観的論理性を重んじる徹底した合理主義に基づいている。即ち、夕食を重視せず、昼食を重視するというのは、この後に労働することにより栄養及びカロリーが必要となるからこそ、昼食をたっぷり食べるのであり、逆に夕食は睡眠時には高栄養・高カロリーは不要だからあまり摂取せず、昼間摂取した分で賄えばよいという生理学的理論に基づいているからである。彼らの視点からすれば、日本人の中に時々見受けられる食生活パターン、即ち、毎晩夕食を豪勢に食べる一方で、朝食を食べずに昼はざるそばで済ますと言うような食生活は、理解できない非論理的なものとしか映らない。

   さて、私の普段の昼食は、もっぱら大学の学生食堂(Mensa)で済ませた。学生食堂と言っても、私が経験した日本の大学生協食堂岐阜大学や京都大学等の生協食堂。ちなみに、生協が入っている大学では、学食などという軽薄な呼び方はしない。生協と呼ぶ)とは、かなり趣が違う。先ず調理人が山高帽をかぶったMeister、いわゆる、レストランのシェフクラスの者なのである。当然、定食(Menu)は、毎日その内容が異なり、しかも日本人が想像するドイツ料理ではなく、どちらかというとフランス料理的なものばかりなのである。ただし、肉食のMenu I(定食I)かベジタリアン(魚料理も含む)のMenu IIの選択枝しかない。あるいは、どちらも気に入らない場合は、常設コーナーに Wurst Eintopf mit Brötchen がある。この3つの選択枝しかない。私は、毎日、Professor Dr. Georg HerttingDr. Vladimir Dolezal との3人で食事を共にした(時々この中に Professor Dr. Rolf Jackisch とその大学院生たちが加わることもあった)。

   私と Dr. Vladimir Dolezal は、共同研究をしていたので、1階(Erdgeschloß)の同室に机を並べ、私は午前中は実験データの整理や論文執筆・読破などを行い、午後から2階(erste Stock)のLaboratorium(実験室)へ行って培養細胞(ニワトリ胎仔神経節細胞)を用いた実験を行うという毎日であった。毎日午前11時30分きっかりに Professor Dr. Georg Hertting が、2階の教授室から私たちの研究室のところに降りてきて「Shall We Go?」と言って、薬理学研究所から緑に覆われたキャンパスの中を抜けて100 mほど離れたところにあるMensaに出かけるのである。この時間にMensaは開いたばかりなので、未だ行列の長さがさほどではない。学生達と共に1列に並び、配膳口へ向かう。やがて自分の順番がやってくると、配膳係のおばちゃんが大きな目でこちらをギロリと睨み、「Nächste? 次は?」と聞いてくる、私の答えは、決まっている。「Eins Bitte! 定食(Menu) Iお願い」。すると、おばちゃんは、特大プレートにこれまた超てんこ盛り本日の肉料理、スープ(必須)、サラダ、ジャガイモ料理(またはライスまたはパスタ)、デザートを盛りつけ、この時だけ、にこりと微笑んで「Bitte Schön! Guten Appetit! さあどうぞ!召し上がれ!」と言って手渡してくれるのである。20年以上も昔の話なので各々がどのような料理であったか詳細は忘れてしまったが、ともかく、日本ならば一流のフランス料理店に匹敵するような、デザートまでついたフルコース料理が、しかも大量に盛りつけられてあったのは間違いない。しかも、毎日その内容はデザートに至るまで異なっていた

   さて、テーブルに着席して、毎日Dr. Vladimir Dolezalがにこやかに声をかける「Have a good appetite!」。さしづめ、日本の「頂きます」に当たる言葉である。ドイツ語では、冒頭でも述べた「Guten Appetit」。フランス語では「Bon Appetit」。イタリア語では「Bon Appetito」であり、全て同じ言葉である。但し、Dr. Vladimir Dolezal(チェコ人。彼は米国にも留学経験がある。現在、チェコ科学アカデミー生理学研究所神経生化学部門部長・主任教授)の言う、「Have a good appetite!」は、英英辞典にも載っておらず、彼自身の造語かもしれず少々怪しげなのだが。ともかく、このMensaでの食事は毎日の楽しみでもあり、驚きの連続でもあった。

 

    Freiburg im Breisgauはかの有名な黒い森Schwarzwald)の中心都市でもあり、そのSchwarzwaldの自然環境保全は実に徹底されている。

 80年代の後半は、深刻な酸性雨の被害により立ち枯れとなる木々が相次ぎ、一時危機的状況となった。ところが、ここからのBaden-Würtemberg州政府およびドイツ連邦政府による迅速かつ的確な施策および市民の努力がすばらしい。徹底した車の排ガス規制(例えば、信号待ちは全てエンジン停止であり、バスも停留所で必ずエンジン停止をする)や、植林を行うのは勿論、Freiburg im Breisgauでは、街の中心部への車の乗り入れを禁止し、京都を始めとして日本ではとっくに廃止となった路面電車(Straßenbahn)の路線の拡充は勿論、車両を低床化した新型車両を取り入れたりした。また、ゴミの分別回収およびリサイクルを世界に先駆けて徹底化したりした。こうした官民一体となった努力が直ぐに結実し、私が滞在した90年代前半には、早くもSchwarzwaldはその名に恥じず、黒々とした深い森の姿を取り戻していたのである。Freiburg im Breisgauは、環境首都として、世界的に有名であり、各種著作本が日本でも出版されているので、詳細はそちらに委ねたい。

 このSchwarzwaldには、サクランボ(Kirsch)、ラズベリー(Himbeere)、ブルーベリー(Heidelbeere)、ブラックベリー(Brombeere)等の果実類やキノコ類が豊富に群生し、様々な鳥類は勿論、熊や鹿やウサギなどの動物たちも大切に守られている。一方で、鹿肉は、くせがなく美味であることが知られており、毎年9月から冬の間だけ、Schwarzwaldでも鹿を一定数狩猟しても良い、即ち、狩猟解禁期間となるのである。従って、9月から2月頃にかけてMensaにおいても、この鹿肉のステーキがしばしば登場した。確かに脂身も少なく癖のない味であったことは今でも覚えている。また、この時のデザートは大概Schwarzwald名物のSchwarzwälder Kirschentorte(サクランボのケーキ)やラズベリー(Himbeere)のムースであり、甘い物はあまり好きではない私にとっても大変美味であった。

 ところで、この高級フランス料理フルコースの様な食事が1食いくらだと思います?私が最初に驚愕したのがこの価格であった。何と!1食2 マルク 50ペニッヒ(当時の換算で約150円)なのだ。こんな価格日本の大学生協食堂でもあり得ない!20年前の価格だが、現在でもさほど値上がりしていないと聞いた。

 ちなみに、ドイツの大学は全て国立大学であり、学費は無料である。どこぞの国のように、国家財政が逼迫したからと言って、真っ先に国立大学を独立行政法人化などと言う美名をお仕着せて切り捨てる様な、国家百年の大計を見誤ったような短絡的愚策は、ドイツの為政者は決して行わない(おそらく考えもしていない)

 

  少し本題から外れるが、上記のMensaでの行列は勿論、郵便局での手紙を出すとき等や、あるいは、鉄道駅や市の交通局で切符(Fahrschein)や定期券(Regiokarte)を買い求めるために行列に並ぶ際、ドイツ人は皆行儀良く並び割り込む姿など見たことがない。偶々見かけたとしても、おそらくドイツ人以外の旅行者であり、私は3度ほど見かけたが、いずれも浅黒い肌の中東からの旅行者の人たちか、もしくは、中国人旅行者の様であった。この時、私の前に並んでいた人が振り返り、苦笑しながら目配せしてSchade(しょうがないね)と言っていた。勿論、前の人が切符を買い求めるのに手間取って相当待たされることになっても、皆おとなしく待っている。

 何故こんな事をわざわざ記述したかと言えば、最近読んだある有名(?)な日本人ジャーナリストのドイツ紀行文の中で、ドイツ人は行列を守らず、割り込みをすることは日常茶飯事であり、郵便局などでもしょっちゅう平気で割り込みをする(!?)。さらには、彼の筆者のイタリアでの経験談(たった1回!)によると、他人を肘でごりごり押しのけてまで行列に割り込みをしていたのはドイツ人(?)であり、英国人やフランス人やイタリア人(!?)は皆行儀良く並んでいる等と書かれていて、唖然としたからである。彼は、その紀行文の中で、ある人が切符を買い求めるのにもたもたしたりすると、後列に並ぶドイツ人達が舌打ちしたり、悪態をついたりすると記述したりもしている。まさしく開いた口が塞がらない低次元の偏見に満ちた戯れ言である。

 Freiburg大学(Albert-Ludwigs Universität Freiburg)は、ドイツ語圏ばかりか、世界でも有数の歴史を誇る名門大学哲学者のハイデッカーも出身者であり、ノーベル医学生理学賞受賞者も何人も輩出している)であるから、行列割り込みなどする低レベルの人間は皆無なのは当然であっても、Freiburg以外の街(例えば、Berlin、Bremen、Ulm、Sttutgart、Würzburg、Frankfurt am Mein、Mannheim、Aachen、Lübeck、Dresden、Hamburg、Mainz、Karlsruhe等の都市)の駅や郵便局で、僭越ながら、その様な経験を私はしたことがない

 彼のジャーナリスト氏は、ドイツ語も堪能で特派員経験を有し、ドイツ滞在歴も長いそうだが、一体何を見てきたのだろう?遺憾ながら、以前から私が何度も指摘してきた様に、日本のマスコミ、ジャーナリズム関係者の多くは、この様に、貧弱な批判的論理的思考能力しか持ちあわせず、それを恥ずかしいとも思わずに反省することもなく、ろくに勉強もしないまま、及びまたは、十分な数学的科学的検証もしないまま、狭矮で浅薄な非科学的経験論のみに基づいた間違いだらけの文章を公共に垂れ流して厚顔無恥でいられる人たちが殆どである。特に医療関係を取り扱うマスコミの横暴・低劣さは目を覆いたくなる惨状である。新聞に出ていたからと安易に信ずることは止めた方がよいと、再度ご忠告申し上げたい。

 

 話は戻って、Mensaでの昼食後、昼からの仕事の前に3階(zweite Stock)の会議室に集まりコーヒーブレイクである。そこでの会話の話題は、以前述べたように、政治、歴史、Fussball(サッカー)、オリンピックなどである。私に対しては、日本の文化・気候・風土的な質問を良く受け、彼らにとっては、まさに異次元の世界の出来事のように聞こえたに違いない。それはともかく、ドイツのコーヒーは凛として香り高く気品にあふれ、正しく絶品なのである。田舎町のKaffeに入っても、あるいは、易い民宿並みのホテルでも、出されるコーヒーは間違いなくうまい。豆の違いもあるかもしれないが、おそらく、ドイツの水(硬水)のおかげなのではないだろうか。Professor Dr. Georg Herttingが、「世界一最悪にコーヒーがまずいところは、米国と日本だ」とけなしていたが、同意せざるを得なかった。

 教授は米国のHarvardUniversityNIH(米国国立衛生研究所)で5年以上研究していた経歴があり、しかも、日本文化に精通した親日家でもある。実際、幾度となく来日もされている。また、Kaffe発祥の地Wienの出身だから、なおさら日本や米国の「薄っぺらいコーヒー色の飲み物」には辟易としていたに違いない。ドイツを含めた欧州の水については、又の機会で述べたい。

  ドイツ人の国民食として忘れてならないものがある。それは、Spargelホワイトアスパラガス)である。毎年Ostern (復活祭)の終わる頃、即ち、春の訪れと共に市場に出回るようになり、家庭の食卓に並ぶのは勿論、レストランとかでも、店頭に本日のお勧め料理(Heute Empfehlung)として、誇らしげにSpargelの文字が躍るようになる。旬は、5月から6月にかけてであり、調理法としては、皮を剥いて茹でたものに色々なソースをかけて食べるのが一般的であるが、スープにして食べることもある。日本で言えばさしずめタケノコあるいはふきのとうくらいか。しかし、日本人の中でもタケノコやふきのとうを嫌う人はいるが、Spargelを嫌うドイツ人は皆無である。例えば、この時期に運行しているルフトハンザ航空便の機内食には、Spargelが供されることが多く、機内アナウンスでその旨が告げられると、乗客のドイツ人は皆、陶然とした顔になったり、歓声を上げる者すらいるくらいなのである。何故これほどまでにドイツ人に好まれるのか。それは、ドイツの気候を考慮すれば明らかである。ドイツの冬はあまりにも厳しく、永遠とも思えるほど長く続き、日差しも弱々しく、日照時間も6時間程度しかない。従って、Spargelを食べることにより、ドイツ人は、やっと長くて暗い冬から解放され、間もなく光あふれる夏が到来すると言う喜びを実感できるからに違いない。私が子供の頃は、ホワイトアスパラガスは、缶詰でしか見たことがなく、ドイツに滞在して初めて分かったのだが、ドイツのような冷涼な気候でしかこの品種は生育しないからなのだろう。事実日本の缶詰は欧州の気候に最も近い北海道産である。私がFreiburg im Breisgauに最初に到着した5月は、丁度このSpargelの旬の時期であり、Münster(大聖堂)前のRestaurantで到着後最初に食べた料理がSpargel mit Holländische Soßeホワイトアスパラガスのオランデーゼソース(卵黄、バター、酢で作る、マヨネーズに似た温かいソース)掛け)であった。一緒に飲んだWeizen Bier小麦から造ったビール。南ドイツにしかない)と共に、今でも鮮烈な印象として心に残り忘れることができない。

  ドイツの国民食と言えば、やはり、Wurst(ソーセージ)は外すことはできない。但し、その種類は驚異的とすら言え、町々で独自の種類があるほどである。日本で有名なフランクフルトソーセージはFrankfurter Wurstのことである(但し、日本の物は実物とは似ても似つかぬが)。味わいも日本のものとは比較対象にならないほど美味であり、ドイツに滞在した経験のある者は、日本のソーセージは化学薬品の臭みが鼻について食べられなくなる。上述のImbissWeihnachtsmarkt(クリスマス市場)の屋台で売られている焼きソーセージ(Bratenwurst)で最も多いのは細身のNürnberger Wurstであり、2,3本まとめてかぶりつくのが常套的食べ方である。その次によく見かけるのがTüringerWurstで非常に大ぶりで1本で十分満足する。もう一つ、私が気に入っていたWurstは、第1回のドイツ事情の時にも紹介したドイツ南部特有のWeiss Wurst(白ソーセージ)であり、茹でるのが標準的調理法(Bockwurstという。Frankfurterもこの部類)だが、変則的ではあるが焼きたてをほおばるのも、絵も言えぬ美味なのだ。又、後述するビールと同様、日本のように寡占的なメーカーによる生産ではなく、町工場あるいは個人商店での手作りに近い形で生産しているので、多種多様で各々味も異なるのも半ば当然と言えるのだ。Wurstだけではなくハム(Schinken)についても同様である。Schinkenにも、大きく分けて2種類ある。生ハム(Rockschinken)と火を通した普通のハム(Gekochterschinken)である。生ハムで最も有名なのがSchwarzwalder Schinkenであり、勿論、Freiburg im BreisgauならばHertie(ドイツ大手のデパート。96年に更に大手のKarlstadtにフライブルク店は売却された)の地下食料品売り場や町中のスーパーマーケットに行けば、簡単に手に入った。塩がきついため薄く切らないとおいしくないが、反面非常に日持ちがする。一方の火を通したハムにも実に様々な種類のハムがあり、見た目は日本のロースハムと大差ない様に見えるものもあるが、実際口にすると上品でみずみずしい香りが口中に広がる。ともかく、WurstSchinkenBierとの相性は抜群である。

  ところで、フランス人とドイツ人は歴史的・地理的因縁から概して仲が悪く、お互いの生活習慣や食生活を揶揄しあったりもする国にしても個人にしても、隣人同士の仲が悪くなることは、ある意味人類の必然的現象として仕方がない事ではあるが、日本人の浅薄なフランスびいきの人たちが、ドイツ料理やドイツ文化をけなしたりするのは、見当違いも甚だしい部外者の戯言と言わざるを得ない。事実、意外と知られていないのだが、フランス人はビールとWurst、さらにはジャガイモが大好きなのである(しかもジャガイモ以外はドイツ製(産)か、もしくは、ドイツ製法によるもの)。Parisをはじめ、Strassbourg(ドイツ語ではStraßburg)やLyonなどのフランスの都市を歩けば、昼下がりのカフェのオープンテラスでビールグラスを傾ける男女をよく見かける

 元々、フランク王国の開祖であるカール大帝(Karl der Große フランス語ではCharlemagneシャルル・マーニュ。Aachen(フランク王国の首都)の大聖堂Münsterに祀られている)の死後、その3人の息子がそれぞれ分割統治することになった国が、フランス、ドイツ、イタリアの起源であるので、食べ物の嗜好もさほど変わらない隣同士の親戚に当たるからこそ、お互い仲が悪いのである。なお、カール大帝は、征服した広大な領土(現在の西ヨーロッパの大半を占める)を効率よく支配するために全国を州に分け、それぞれの州に「伯」(ComesGraf)という長官を配置し、地元有力者を任命して軍事指揮権と行政権・司法権を与えるとともに、その世襲を禁じる等の現代にも通ずる地方分権制に基づく中央集権政策を行う一方、道路を改修して交易を保護したり、銀を通貨とする貨幣制度を定めるなどの万民に対する善政を行っており、その施策は実に先見性に富むものであった。そのため、現在でもなお「ヨーロッパの父」と呼ばれ慕われ(ドイツばかりでなく、フランスやベルギーにもカール大帝の銅像がある)、現代におけるEU統合はしばしば「カールの帝国の再現」と称されることがあるほどである。

 さて、ビール(Bier)の話になると、語り尽くせないくらいである。先ず、ドイツのビールは、Wurstの場合と同様、日本の様に少数寡占的大メーカーの製造によるものではない。大げさではなく、人口数万人以下の、日本で言えば過疎地に近いような小都市にも、独自のビールメーカー醸造所(Brauerei)が存在し、各々独自の銘柄のビールの製造販売を行っているのである。従って、現在でもドイツ全体ではおよそ1,800以上のビールメーカーが存在しているのである(銘柄は6,000以上)。第1次世界大戦以前には、ビールメーカーは全国で数万を超えていたのだが、幾つか統廃合された結果、現在の数に落ち着いたのである。何故それほどまでにビールメーカーが存在するのかと言えば、これにもドイツ人の徹底した客観的理論に裏打ちされた合理主義が反映されているからだ。即ち、「ビールは、生き物であり、ビール工場の煙突の陰が落ちる範囲以上の外へ持ち出せば味が落ちる」と、彼らは考えているからである。従って、日本のビールのように遙か遠くの工場で作られて、列車や飛行機等で長期間かけて運ばれてきたビールは死んでいると彼らは見なし、決してその様なまがい物は口にしないのである。また、運搬手段や保存手段が格段に進歩した現在でも、店頭に並ぶビールの基本は瓶ビールのみであり、缶ビールは、一部の対米輸出用に生産されている銘柄を除いて、殆ど存在しない。つまり、缶詰にすれば、ビール本来の味と風味が損なわれるからだこの辺りにも、同じ合理主義と言っても、米国の単に面倒だから省略すればよいと言う、効率しか考えない非論理的合理主義とはずいぶん違うことが窺い知れる。さらには、ドイツには「ビール純正法」と言う法律が存在し、ビールの原料としては、麦芽とホップと水だけを使用し、それ以外の原料を使用してはならないと厳格に定められている。しかも、この法律は、何と16世紀のバイエルン国王によって制定されたものであり、500年以上も守り続けられているのである。従って、ドイツ人からすれば、日本の殆ど全てのビールは勿論、日本人が有り難がるベルギービール等はビールとは呼べないまがい物に過ぎないのである。

 さて、ドイツビールには大別して2種類のものが存在する。即ち、上面発酵(Ale Bier)か液底(下面)発酵(Lagger Bier)かの2種であり、前者の代表がAlt(日本風に言えば黒ビール)でKölnKölschBerlinBerlinerが有名である。一方、後者の代表がPilsnerPilsとも言う)やExportであり、ドイツビールの実に70%をも占めており、6,000以上存在する銘柄の大多数をこの種類のビールが占めている。これ以外に我がFreiburg im Breisgauを含めた南ドイツ特有のビールが、上褐の小麦を原料として作られたWeizen(上面発酵Ale)であり、濾過せずにわざと濁ったまま(酵母を残したまま)のタイプHefe)と、濾過して透明になったタイプKristall)の2種類が存在する。いずれにしても、このビールは、世界中どこを探しても南ドイツ以外には存在しない。

  レストラン等で供されるビールは、勿論、その地元メーカー(大都市などでは3社くらい存在するのはざらである)のビールであり、ビールグラスにはそのメーカーのブランドマークが刻印されている。更に、グラスの上部に線が付いていて、その横に0,33L(または3,3dL いずれも330mLのことで、ドイツを含めた欧州の数字表記は、小数点はピリオドではなくカンマで表記する。例えば、0,5L、あるいは、5dLという標記の時は500mLのことである。逆に6,000などの場合、欧州表記では、6.000となるので注意が必要。このあたりが米国との大きな違いである)と言う数値が印字してあり、本当にメスシリンダー等を用いて計りながら注いでいるのでは思わせるほど、きっかりその表示線のところに液面があり、その上は泡となっている逆に少しでも線から液面がずれていれば客に差し出さないし、万が一液面が表示線からずれたビールが差し出されれば(絶対にあり得ない)、申し出れば直ちに取り替えてくれる。この辺りにまでドイツ人の合理性は徹底されているのである。もう一つ日本との決定的な違いがある。それは、ドイツ人は決してビールを冷蔵庫で冷やさないと言うことである。我がFreiburg im Breisgauは南ドイツのため、夏の最高気温は30℃に達することもしばしばであるが、そういう夏日でも、湿度は20%にも満たない場合が殆どのため、木陰や屋内は涼しく(ドイツの一般家庭にはエアコンは不必要であり存在しない)、最低気温は10℃前後まで低下する。従って、太陽が沈んだ「夕方」10時頃(夏は22時近くまで空に太陽があり明るい)は、気温が16℃くらいになっている(京都の3月末の最高気温くらい)。この様な気候だから、夏でもビールを冷蔵庫で冷やす必要がないと言うこともあるが、それよりも本当の理由は、「飲み物を12℃以下に冷やすと味蕾(舌の味覚を感受する器官)が麻痺して正確な味が分からない」と言う、極めて正当な神経生理学的理論に基づいている。これは、Professor Dr. Georg Herttingから聞いた話だが、教授の様な専門家でなくても、老若男女を問わずドイツ人ならば皆この事実を知っているのである。まさしく驚くべき徹底した論理的国民性である。ドイツでは、「きんきんに冷やしたビール」は望めないと言うことは覚えておくべきである。

  さて、我がFreiburg im Breisgau(フライブルク)のビールメーカーはGanterである。フライブルクのどのレストランやKaffeに入っても、Ganter Bierが楽しめる。Ganter Pilsnerは、すっきりした喉越しだがあくまでも力強く、これぞドイツビールと言う味わいであり、Pilsnerと同系統でアルコール濃度が更に高いExport濃厚な味わいは日本では体験できない。一方、Weizenは上記の2種類があり、どちらもそれぞれ爽やかで忘れ難いほどの美味であるが、私は、特に濾過したGanter Weizen Kristallklarを好んだ。Weizenはドイツ料理は勿論、和食や中華料理にも良く合うので、是非日本のメーカーも製造して頂きたい(但し、事実上保存できないので飲食店のみでの供給となるだろうが)。

Bierの話は、まだまだ尽きないが、きりがないので次の話題としたい。

 ドイツはワイン生産の北限に当たるが、ローマ帝国の支配下に置かれて以降、いくつかのワイン用のブドウ栽培に適した地域でワイン生産が盛んとなり、現在に至るまで連綿と続いている。特にFreiburg im Breisgauの属するBaden-Würtemberg州Baden地方は、ワイン(Wein ヴァインと発音する)の名産地である。私は、Professor Dr. Georg Herttingの斡旋により、Freiburg im Breisgauの中心から5 kmほど郊外にある、Merzhausenと言う小さな村に住居(Wohnung)として1軒家を借りたが、この借家はなだらかな丘の麓近くに位置していて、その丘1面がブドウ畑であった。勿論、全て白ワイン用のブドウである。ドイツワインと言うと、殆どの日本人が想像するのが、Mosel-Saar-RuwerRheinhessen辺りの甘口白ワイン(Lieblich Weiss Wein)であり、20年ほど前、日本の某メーカーがテレビのコマーシャル等で、ドイツで最もよく飲まれているワイン、Madonnaと、盛んに宣伝していたことをご記憶の方も多いかと思う。このMadonnaは、Mosel Weinの一つの代表とも言うべきもので、確かに、その系統のワインでは、一番かどうかは別として、有名なのは事実である。しかし、酒好きには、甘ったるくて料理に合うとは言い難く、フランスのシャブリ等の辛口白ワインの方が、やはり料理との相性がよいのは事実である。従って、某メーカーの宣伝に乗せられた一般日本人は、「ドイツワインは料理にはちょっとねぇ」と、誤解を抱いたままとなってしまう。ところが、ドイツにはシャブリと同等以上の美味な辛口ワイン、否、世界一の極上白ワインが存在するのである。それが、Baden Weinなのだ。Baden Weinには、Riesling、Gewürztraminer、Müller-Thurgau、Ruländer、Silvaner等のブドウから作られた数種類の白ワイン(Weiss Wein)が存在し、全て基本は辛口(Trocken)で、どれもとてつもなくうまい。中でもSilvanerのスパイシーで透き通るような爽やかさは、フランスのシャブリに決して引けを取らない(個人的にはSilvanerの方が勝っていると思う)味わいである。また、各々のWeinにスパークリングワインがあり、これをドイツ語でSektと呼ぶ日本では、フランス製の高級シャンパンがもてはやされているが、コストパフォーマンスから言えば、断然Baden Sektの方が上である味も香りも決してひけを取らないのに価格は10分の1以下である

 

 私がフライブルク大学薬理学研究所で研究を始めて約1ヶ月ほど経った時の午後4時過ぎくらい(まだ真っ昼間である)、大学院生のPeterと研究助手のFrau Angilikaが、その日の実験が終了した頃を見越して私に声を掛けた。「ケン、君の歓迎会のミニパーティをするから来ないか?」と、2つ返事で3階のセミナー室へ行くと、もう既に飲み始めている数人と共に、Baden Sektで乾杯となった。これが、私のBaden Sekt初体験の日である。彼らの人なつっこい笑顔と、異邦人を躊躇無く仲間としてもてなしてくれた思いやり、そして、その日の衝撃的なまでのうまさのBaden Sektは、今でも懐かしく思い出される。

 残念ながら、これらの愛すべきBaden WeinおよびSektは、生産量がそれほど多くないこともあるため、全てドイツ国内、しかも、殆ど現地Baden地方のみで消費されるため、他国では無名の存在となってしまっている。最近は東京や京都を初めとして、日本各地で世界のワインを販売する店が増え、容易に各種ワインを入手できるようになった。しかしながら、Baden Weinは、やはり、この様な店でも殆ど見かけることはない。仕方が無いので、私は、こういう店では、Franken WeinかAlsace (Elsaß) Weinを探して買い求める事にしている。前者は、Würzburgを中心都市としたBayern州北部地方で生産されるワインで、山羊の睾丸を模したずんぐりとしたボトル(Bocksbeutel)で有名なため、見かけた方も多いと思う。その味わいや使用してるブドウの品種もBaden Weinに非常に近い後者は、Baden 地方とライン川(Rhein)を挟んで西隣に位置し、Strassbourg(ドイツ語ではStraßburg。Freiburg im Breisgauから60kmほど西北に位置する。京都―大阪間くらいの距離)を中心都市とするフランス最東部地方で造られるワインである。従って、政治的な土地区画は別として、地理的にも、気象条件や土壌は、ほぼ同一の同じ地域と見なされるから、当然出来上がるWeinは、Baden Weinと兄弟みたいなものである(Alsace(Elsaß)地方に対する独仏の歴史的因縁については、それだけで長文になるので、敢えて触れないことにする。但し、今やここはEUの中心的地域となっていることと、この地方で使用されている方言、アルザス語が、フランス語よりもむしろ極めてドイツ語に近いことは、認識しておくべきだと思う)。この2系等のワインは、日本でも容易に入手できるので、是非一度お試しになられることをお勧めする。

 今回、食の話になるとつい長文を書き連ねてしまったが、ドイツの食事情で特筆・強調すべき事は、日本とは比較にならないほど食料品の物価が安価であると言う点である。酒類を含めて、日本のスーパーの特売値よりも更に安い値段が通常価格と言って差し支えない。例えば、ビール1本(330 ml)は日本円換算で20-30円くらいであるし、ジャガイモやトマトなどの野菜類は1kgで30-100円程度である。勿論、ドイツにも、日本の消費税がモデルとした付加価値税Mehrwersteuer。省略してMwStと言う税金があり、私が滞在していた頃で12.5%もの高い税率であった現在は19%)。では、何故、この様な高い税率の付加価値税が存在するのに、食料品は驚異的に安いのであろうか?答えは、付加価値税が成立当初から分離課税だからである。衣料品を含め他の商品に一律課される付加価値税が食料品や医薬品には課されない、即ち、無税なのである。生命維持に関わる必需品(第1回ドイツ紀行参照)に税金をかけるなどの蛮行はドイツの為政者は考えもしていない。今からでも遅くない。日本の消費税も分離課税にすべきであるのは疑うべくもない。是非再考をお願いしたい

 

 さて、あれこれ尽きぬ話題に、つい、長文化してしまった。おっと、早く食べなければせっかくのBohnen Eintopfがまずくなってしまう。車窓を流れゆくドイツの美しい風景を眺めながら食すると、又一段と格別の味わいである。さあ、支払いをして席に戻るとしよう。ここで注意が必要。支払いは集中レジではなく、最初に注文を聞いてもらった給仕に直接支払うのだ。

Es hat sehr gut geschmeckt! Danke schön!(大変おいしかったよ。有り難う)。Bitte schön. Schöne Reise und Wochen Ende! Tschüß (どう致しまして。良いご旅行と良い週末を!さようなら)。また、次回をお楽しみに。

 

写真

#1. フライブルク中央駅(Freiburg i. Br. Hauptbahnhof)に停車中のICE  DBのホームページから引用

#2. フライブルク中央駅(Freiburg i. Br. Hauptbahnhof90年代前半の外観 DBのホームページから引用

#3. 市民公園(Stadtgarten)から望む大聖堂(Münster) 93年5月23日 Canon F-1 New FD 85mm/f=1.2

#4. フライブルク大学Mensa(小川の向こうのモニュメント後ろに建つ建物)94年3月21日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#5. Schwalzwald 93年頃に購入した絵はがきから

#6.  Basel Dreiländereck, Switzerland スイス・バーゼルのライン川岸に建つ三国(スイス、ドイツ、フランス)国境の印(94年に改装された) 95年10月3日  Canon F-1 New FD 24mm/f=2.0

#7. Merzhausenのブドウ畑 遠景はFreiburg i. Br.市街 93年7月20日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#8. Merzhausenの借家の前で 95年10月2日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#9. Pharmakologishes Institutの仲間と 私の隣に写っているのがAngilika Schobelt 95年10月1日

#10. 同上  Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#11. Würzburg 旧市街(Alte StadtMarienburg Schlossから望む 93年8月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#12. Würzburg Residenz(世界遺産) 93年8月1日 Canon F-1 New FD 35mm/f=2.0

#13. ColmarAlsace第2の都市)Petit Venice  93年8月14日 Canon F-1 New FD 50mm/f=1.4

#14. MulhouseAlsace第3の都市)Cathedral 93年10月2日 Canon F-1 New FD 20mm/f=4