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京都市北区西賀茂榿ノ木町31−2
院長 諸岡 憲(もろおか けん)
  1. 「Tourist or Resident」と「日本人または外人」:日本の常識は世界の非常識
 

「Tourist or Resident」と「日本人または外人」:日本の常識は世界の非常識

Schwabentor, 1993年11月 大変遅くなりましたが、2回目の紀行です。今回もドイツのお話しから始まります。

 この項を記述している現在、秋も深まり、そろそろ冬の訪れを感じさせる様になりました。

各地で紅葉が見頃を迎えています。

 ドイツでの秋は(日本の本州関東以西出身の人間にとっては)、通例8月半ばから始まります。8月半ばを過ぎると、最高気温は高々20℃程度、最低気温は10℃前後まで低下し、8月にセーターは愚か、ジャケットを着込んでいたこともありました。黄葉(ドイツではカエデ系の樹木があまり見られず、紅葉ではなく黄葉一色です)は、9月に入った途端に始まり、10月になれば、落葉と落ち栗(実は殆どマロニエの実で食べられません)が道を埋め尽くします(もっとも、朝の通勤時に観られた落葉と落ち栗は、夕方帰宅時には、市の清掃職員の手によって一つ残らず除去されています)。また、本当の栗を蒸気機関車を模した屋台車で焼き栗にして販売する姿が、街角のそこかしこに出現する様になります(ちょうど日本の焼き芋の屋台販売に似ています)。落葉と落ち栗の季節が終わる10月末頃、暗くて長い冬がもうそこまで迫っています。

 

 私がフライブルク大学薬理学研究所(Institut für Pharmakologie und Toxikologie des

Albert-Ludwigs-Universität Freiburg)に招かれて留学滞在したのは、1993年から1995年にかけてのことで、早20年以上の時間が経過してしまいました。

 当時ドイツは東西統一が成就して未だ3年ほどしか経っていない、やや混沌とした時でした。その様な政治的事情が影響したため、ビザの発給が遅れ(医師の外国人はそのまま定住される懸念があるから)当初予定していたより1ヶ月以上遅い、春たけなわの5月に現地に到着しました。

 ただし、5月でも未だ最高気温は20℃に届かない位であり、夜になれば10℃前後まで下がる、日本の関東以西で言えば3月下旬から4月上旬の気候でした。それでも、長い冬を漸く脱し、光あふれる季節になったその時期を人々は大いに享受していました。私がまず最も感銘を受けた光景は、空一面を覆い尽くすタンポポの綿毛でした。2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会での試合中継でも、しばしば競技場の空を覆い尽くすように飛び交うタンポポの綿毛が写しだされていたことは記憶に新しいことです。私の幼少期でも、このような光景を日本で見た記憶はなく、まさに初体験なのに、何故か愛おしい位の懐かしさを覚えました。

 

 また、私が滞在した頃はEU自体も発足して未だ年月が浅く、EUの公用語が英語とフランス語と言っても、

Freiburgでは殆どがドイツ語のみの世界でした。一方、私が所属したInstitutにおいては、

教授Professor Dr. Georg Herttingがオーストリア人、同僚として共同研究を行ったDr. Vladimir Dolezalがチェコ人、と言ったように、欧州各国から多種多様な人材が集まっており、当然のように英語をCommon Languageとしていました。ただ、私が滞在中の頃は、他の研究室をも含めて、大学内においては、日本人を見かけることはありませんでした。

   従って、当然Communication Languageは大学内では英語、街へ出ればドイツ語という生活になりました。 

 もっとも、私の元々の希望がなるべく日本人のいないところでしたので、生活様式や慣習はおろか、デパートや店舗での買い物、あるいは、鉄道、路面電車、バス等の公共交通機関の利用の仕方に至るまで、まるで日本の常識は通用しないことに、当初かなりの戸惑いを覚えはしたことを差し引いても、なお、まさしく希望通りで実に晴れやかな気分でした。

 

 それらの違いにも慣れた頃、ある不思議な体験を、しかも、1回ではなくほぼ毎日経験するようになりました。

 街をいつものように歩いていたり、あるいは、Bus Haltestelle(バス停留所)でバス待ちしている時などに、頻繁に道を聞かれたり、「どこそこ行きのバスはどこから出るの?」とかを、勿論ドイツ語で尋ねられるようになったのですしかも直ぐそばに明らかにドイツ人と思われるような人がいても。私は、当初非常に戸惑いを覚えました。日本で、日本人が日本人以外(明らかにそう見える、所謂ガイジン)の人に道を尋ねるでしょうか(しかも臆せずに日本語で)?

 そのことをある日Institut Secretary(教授秘書)のFrau Breisacherにこう尋ねてみました。「どうして、みんな僕に道を尋ねるのでしょう?」

 この問いかけに対する彼女の答えに、私は強い衝撃と感動を覚えたことを今でも忘れません。

「Freiburgには多くのTouristが訪れるから、貴方のような現地人(Resident)に道を尋ねた方が正確な答えが得られる確率が高いでしょう」と、透き通るような蒼い目に笑みをたたえながら、「そんなに不思議なことなの?」と、逆に私に問いかけるように彼女は即答したのです。

 

 ドイツ語にも外国人(Ausländer)と言う単語は勿論ありますが、この言葉が通常使われることはありません。例えば、Freiburgにも外国人登録管理局(Ausländersamt)とういう役所があり、私も現地到着時に、

Frau Breisacherに案内されて、そこで外国人登録を行いました。この様に、政治行政上や法律上では、このAusländerと言う単語は書類上必要なため、よく用いられています。しかし、日常生活では、敢えてこの単語を口にすることは憚られているのです。何故ならば、ナチスドイツ時代の暗い記憶を呼び覚ます、人種差別主義に通ずる用語であることが大きな理由ではあるのですが、ドイツに限らず、他のヨーロッパ各国においても、ほぼ共通に「外国人」と言う単語は、日常会話で用いられることはありません。即ち、このような単語を口にすること自体が、卑しい行為であり、自らの教養のなさを露呈しているのも同然だからなのです。

 従って、彼女の答えも、当然教養のある人間の至極常識的発想から生じたものだったのです。換言しますと、欧州での常識は、「人間には、2種類しか存在しない。それは、旅行者か居住者(Tourist or Resident)である」と言うことなのです。

 

 翻って、ここ日本ではどうでしょうか。言うまでもなく、殆どの日本人の常識は、未だに、「人間には、2種類しか存在しない。それは、日本人か外人である」です。

 

 生物学的に考察しても、現在の地球人類の人種は、クロマニョン人(および約50万年前にクロマニョン人から派生したネアンデルタール人との混血)を祖先とするホモ・サピエンス1種類しか存在しません。全ての人類は、DNAにおいても、勿論完全に同一であり、肌や瞳の色の違いや体格の相違は、DNAの命令に従って生成されるアミノ酸の量的相違から生じているものに過ぎません。ちなみに、犬も単一種(即ち、チワワもセントバーナードも同一種)です。そもそも、ある高等生物において外見的相違を認めた場合、それが、同種か異種かに分かれる生物学的絶対的基準は、「交配して繁殖できる(同種)か、そうでない(異種)か」なのです。従って、それを知ってなお、多人種は存在すると主張されるならば、「異種交配」、即ち、ケニア人と日本人との間にも普通に健常な子供が生まれるのは、どうしてでしょうか?

 

 当ホームページでも、何度も詳細に述べていますが、ワクチンや薬に対する誤解や風評被害、あるいは、2011年の「偽マイコプラズマ肺炎大流行騒動」の様な馬鹿げた事件(次項参照)が日本だけで頻繁に、殆ど年中行事のように繰り返して起きる根本的原因は、この認識の差が大いに関係していると、考えて差し支えないでしょう。

 

 勿論、ドイツを含めた欧州でも、時々所謂「人種差別主義」に基づく事件は起こります。私が滞在した当時、ネオナチスの活動が活発となり、渡欧直前頃から、日本の新聞各紙もこの話題を取り上げることが頻繁に目立ちました(私の渡欧前、私の親や友人は、この一連の報道を目にして私の身を案じてくれたりしていました)。特に、1992年Berlinのトルコ人が多数居住する地区に対してネオナチスが放火等をしかける暴挙を行い、多数の死傷者を出したと言う事件は、日本で大きく取り上げられたものです。ところが、私の滞在中(それ以降も)、Freiburgは勿論、多国籍の雑多な人間の集まるBerlinHamburgにおいてすらも、一度もそのような事件は起こりませんでした。さらには、町中でその様な暴徒が大音声を張り上げて練り歩く姿や、街宣車でがなり立てながら走る姿などに遭遇することは勿論、実際にそれらしい人にお目にかかることですら一度たりともありませんでした。

Herz Jesus Kirche否、一度だけ、興味深い落書きを目にしたことがあります。FreiburgDBDeutsche Bahnドイツ鉄道、1992年にドイツ国鉄Deutsche Bundesbahnから民営化されました)の中央駅(Hauptbahnhof)をまたぐ陸橋の西側の欄干に、こう記してありました

Fuck the Fascism(くたばれファシズム)」。この橋のたもとには、ロマネスク様式の清心イエズス教会(Herz Jesus Kirche)があり、1992年頃までは、ネオナチスが集会に用いていたと聞き及んでいます(1993年までに彼らは主として市民の力により一掃されました)。私の滞在中のネオナチスに関する体験はこれだけです。

 ここでも、日本のマスコミが、有る事件や問題に対して報道を展開した後、事件のその後についての詳細な検証を常に怠る軽率さを改めて感じた次第です。

 

 どうして、ここまで認識の差が生じるのでしょうか?答えは勿論、一つではありませんし、日本人が安易に口にする、「日本は島国で単一民族国家だから」という考えは、全く的外れで答えにはほど遠いものです。主たる原因は、幼時から他人との関わりにおいて、会話を徹底的に行うことにより、論理的思考能力を養うと言うことが慣習化していることにあると考えられます。そして、勿論、論理的・科学的に思考する能力を養う教育も徹底していることも大いに関係しています。彼らは、Coffee Breakの時間でも、歴史や政治の話題で熱く討論を繰り広げることが当たり前になっており、誰も芸能界の話題などを口にする者はありません(サッカーFußballとオリンピックの話題だけは別ですが)。従って、この様に論理的・科学的に物事を判断する事が慣習化していればこそ、大多数の日本人の様に、たった4つの血液型(ABO式血液型は、1904年米国のLandsteinerにより赤血球上の特異的膜抗原として発見され、彼は、この功績により後にノーベル医学生理学賞を受賞しています。しかし、血液型はこの他にも、Rh式、Lewis式、MNSs式、P式血液型など無数の型が存在し、しかも、赤血球だけでなく、白血球や血小板にも特異的な型が存在するのです。即ち、人類の数だけ、あるいは、それ以上の数の血液型が存在するにも等しいのです)で人間を類型化できる等と言う、馬鹿げた非科学的妄想は、ドイツ人をはじめとした欧州人は勿論、日本人以外には誰一人として許容不可能な幻想です。

 

 話は飛ぶようですが、冒頭近くで述べた生活慣習・システムの違いにも注目すべきかと思います。例えば、デパートなどでの買い物も、日本で常識と思っていることが全く通用しません。ドイツでは、「閉店法」という法律があり、日曜及び国定祭日に営業してはならないと決められています。さらには、それ以外の曜日についても厳密に何時から何時までと営業時間が決められており、それを超えた時間帯に営業することができないのです。日本では、土曜日や日祝日の繁華街は、デパートは勿論、その他のショッピングモール等も人、人、人でごった返すのが当たり前ですが、ドイツでは、土曜日の夕方から月曜日の朝までは、RestaurantCaféを除く繁華街の各店は全て閉店しており、ゴーストタウンと化してしまいますEU統合に伴って各国と歩調を合わせる意味からも閉店法の全面廃止を求める声も一部にはありますが、カトリック教会が安息日に働くことに強く抗議し、労働組合側も、廃止すれば弱い労働者に負担がかかることは目に見えていると強く反対し続けているため、現在に至るまで全面廃止には至っていません。1996年以降、若干の規制緩和が認められ、中央駅(Hauptbahnhof)等には日曜日でも開いているコンビニが出現して、大いに驚きました。私の滞在中は、土曜日は午後2時(現在は午後4時半までに延長されました)にデパートも閉められてしまうため、一度ならずとも午後1時50分くらいに店内に滑り込んだ様な場合、店員が近寄ってきて、「もうあと10分で閉めるから出て行ってくれ」と追い出された経験が何度もありました。日本人には信じられない光景だと思います。店員たちは、顧客と対等の立場にあり、日本の様に決して「いらっしゃいませ」などと言う卑屈な言葉は発せず、店員と顧客はお互いに知人のように「Gutentag 今日は」「Auf Wiedersehen さようなら」と、挨拶を交わすのが礼儀です。「お客様は神様です」等という概念は、ドイツを含めた欧州では全く通用しません。「何それ?」と逆にしつこく質問されるのが

 

 公共交通機関の利用法も同様に、日本で常識と思っていることが全く通用しません。まず鉄道。上記のDBを初めてとしてSNCF(フランス国鉄)、BR(英国鉄道の欧州大陸へ向かう便のホーム)、SBB(スイス国鉄)、ÖBB(オーストリア国鉄)等、全ての欧州鉄道には、改札口がありません。駅の出入り口とプラットホームとの間には、何の境界もなく、素通りで列車に乗車が可能となっています。即ち、改札口が存在しないのです。だからと言って、切符を買わずに乗車すること、所謂無賃乗車は不可能です。何故なら、乗車して列車が走り出したら間もなく車掌がやって来て、「Ihre Fahrschein Bitte 乗車券を拝見します」と聞かれるからです(車掌たち、特にDBの彼らはすごく優秀で、どの駅で誰がどの車両に乗り込んだか瞬時に認識し、覚えています)。

 次に路面電車(Straßenbahn, Tram)や路線バス。こちらは、車両が停留所に停車して、乗降することだけは、日本と同じですが、その他は全くと言って良いほど違います。まず、乗車口と降車口は分かれていません。即ち、どこから乗車あるいは降車しても良いのです。次に、乗車券ですが、単回だけの利用ならば、乗車券をあらかじめ町中の交通局の販売所や主要な停留所にある自動券売機で買い求めておくか、運転手(英語は通じません)に目的地を告げて乗車券を都度購入するかのどちらかになります(私は定期券を持っていました)。そして、その乗車券を車内に数カ所設けられた改札機に通して有効化する必要があります。ここまでの作業を怠ると、時々乗車している私服の覆面検札官が、突然、

Ihre Fahrschein Bitte 乗車券を拝見します」とやってきて、もし無賃乗車ならば、60マルク(当時の日本円で6000円程度の価値。現在は40ユーロ程度)の罰金を支払わされるのです。これらの交通機関では、全て切符の回収はありません。だからどの口からも降車できるのです。ここまででも、日本のシステムに慣れきって、それが常識と思っていた者にとってはかなりの衝撃ですが、さらに驚愕するようなことがあるのです。犬が人間と一緒に乗車してきます。断っておきますが、盲導犬や介護犬ではありません。普通の飼い犬です。ラブラドールリトリバー、ゴールデンリトリバー、あるいは、セントバーナード等の中大型犬が中心ですが、ともかくも、普通に乗ってきて、座席の横等に大人しく座っています。実際、切符の裏面にも、以下の様な但し書きを認めます。「この切符で、大人1人の他、就学前児童2人と犬1匹まで乗車可能です」。欧州の人々にとって、犬はペットではなく家族なのです。だから、犬たちは公共交通機関の利用は勿論、レストランや百貨店に至るまで、どこでも自由に出入り可能です。ここまで自由にできる理由は、どの犬も生まれてから飼い主に渡るまで調教師に厳しくしつけられており、決してむやみに吠えたり、ましてや人を襲ったりしないからでもあるのですが。日本のスーパーの入り口等でよく見かける、「ペットの持ち込み禁止」の掲示を、日本語の読める欧州人が目にしたら、ひどく驚いて、こう叫ぶでしょう。「なぜ!犬はペットじゃない!家族だよ!」と。

 さらに、DBの車両に乗車しているドイツ人の子供達はおしなべて大人しく、日本ではよく見かける車内を走り回る姿など見たことがありません。ドイツ人は、犬と子供のしつけにすごく厳しいのです。また、DBの車両は、ICEInter City Express:DBの新幹線。最高時速320kmで走行する)ですら、4人掛け固定座席(2席ずつ向かい合わせ)が基本(しかも2等席には指定席が事実上ありません。1等は日本で言えばグリーン車です)なのですが、臨席や向かい席に座った場合、全くの初対面の相手でも、車中の会話を楽しむのがマナーでもあります。彼らは、空いている席を見つけたら、私にも、Entschuldigung, Ist dieser Platz noch frei?(すいません。この座席空いていますか?)と訪ねて来ます。Ja es ist ietzt noch frei, Bitte schön(ええ空いています。どうぞ)と、答えたら着席すると同時に会話が始まります。今でも印象深く残っている会話も幾つかありますが、強調すべき事は、私を決して「ガイジン」扱いせず、友人と同様に扱ってくれたことです。やがて、目的地が近づいて来たことを告げる車掌のアナウンスに促され、彼らは握手しながら、Schöne Wochenende & Gute Reise, Tschüß!(良い週末と良い旅を。さよなら(Tschüßは、友達通しで使う別れの挨拶。正式はAuf Wiedersehen「また再会するときまで」))と告げて去っていきます。彼ら(彼女ら)が、降車する際、前列に年寄りが大きなスーツケースを抱えていようものなら、すぐに近寄り、ホームまで荷物を運んであげます(鉄道の場合、日本のホームの様に車両の乗降口とホームが平行になってなく、階段を上り下りするからです)。ホームに降り立ったら、私に向かって思いっきり手を振ってくれることも忘れていません。

 もうお分かりかと思います。ネオナチを市民の力で速やかに無力化したこと、デパートの店員の対応、交通機関の利用の仕方、犬への扱い、子供に対するしつけ、車中での見知らぬ者同士の会話、そして、弱者へのいたわり。これらの一見何の関連もない様な事は全て、共通の概念に裏打ちされて生じているものです。

 即ち、自己および自己の価値観を絶対視・特別視せず、また他者と自分の価値観は常に均一なものではない事が当然で、多様な価値観が存在することを認める。そして、一方で、他者と自分との間に優劣の差はなく、他者も自分と同等の権利を有する個別な独立した存在であることを前提とした上で、決して差別化せず、常に自己と対等に考え尊重し、同じ社会を構成する友人として共存していく。更には、弱者に対して臆せず手を差し伸べることを忘れない。

「Tourist or Resident」の発想です。この対局にある発想が、「日本人か外人」であることは明らかです。

 かつての日本人も他者(日本人以外も含めた)への思いやりと言った美徳は兼ね備えていたはずですが、この様な美徳は、いつしか忘却の彼方に追いやられ、無価値化してしまいました。従って、あえてもう一度言います。

 

日本の常識は世界の非常識です。

 

 MUENSTER、1993年11月

 DBDeutsche Bahnドイツ鉄道)の車窓から眺めた四季折々の光景は未だに脳裏から離れません。大平原の中、小川に沿って整然と立ち並ぶニレの木立の中に落ち行く夕陽、黄色に燃えるひまわりの群生、そして秋になれば、延々と続く丘の斜面の畑にたおやかに実るブドウ、ミレーの「落ち穂拾い」そのものの収穫後の麦畑に点在する丸めた麦わら等々です。

 いつの日か、また欧州を訪れる機会を得たら、その時は、まず錆び付いてきたドイツ語に磨きをかけ直して、列車の旅をしたい。そして、臨席の人と会話をすることが今から何よりの楽しみです。Auf Wiedersehen!

 

次回は、誤解の多い、ドイツでの食についてお話しする予定です。

 

写真(上から)

1. SchwabentorFreiburg 南門)1993年11月

2.   Institut für Pharmakologie & Toxikologie(フライブルク大学薬理学研究所)

1994年3月 同研究所は、1999年にキャンパスの西部に建設された新館に移転し、現在は、他の研究所がこの建物を使用しています。

3.   Herz Jesus Kirche 1994年1月

4.   Heidelberg Altstadt & Neckar(ハイデルベルク旧市街とネッカー川)1993年6月